この記事へのコメント
これが岡本太郎とその養女敏子(実質は妻)のことの詠った歌ということはわかりました。
しかし岡本太郎については略歴程度のことしか知らないので「太郎または敏子の願い」がどういうものなのかがわかりません。
「べらぼう」と言ったのは作者で、この言葉がこの歌を読み解くキーワードになるのでしょう。
この意味が解かればこの歌をもっと鑑賞できるのですが・・・
今のところこんな感想しか書けなくてすみません
Posted by 海野雪 at 2011年05月05日 11:57
岡本太郎がその秘書(養女)敏子に支えられつつ、批判を受けながらもとにかくべらぼうなものを創ろうという心意気で、太陽の塔を制作したことを下敷きにしているのでしょう。
「べらぼう」という一語から世界を広げていく詠い方に惹かれました。
岡本太郎のことも太陽の塔のこともあまり知らない私がコメントすべきではないのかもしれませんが,「しずかに」というのが太郎や太陽の塔のイメージにややそぐわない気もします。
Posted by 春野りりん at 2011年05月06日 06:05
岡本太郎と敏子の願いが芸術に対する全般的な考えなのか、あるいは春野さんの意見のように太陽の塔に関するすることなのか、原子爆弾を投下された瞬間を描いた渋谷の大壁画のことなのかこの歌だけでは解かりません。
しかしどれだったとしても二人の願いは同じ考えで貫かれています。

しずかにという言葉はダイナミックな太郎のイメージにはそぐわないですが、太陽の塔(だとして)を見ている作者がじわりと太郎の芸術を願いを感じている情景の歌とすれば違和感はありません。

太陽の塔は私にとって身近に存在しています。
太陽の塔の前に立つと確かに太郎の芸術が永遠に何かを訴えてくる気がします。
しかしあれから40年経っていますから、爆発的というのではなく、しずかにじんわりと太郎の息吹を感じますね。
Posted by 海野雪 at 2011年05月06日 09:53
 
べらぼうと言えばしずかに太郎また敏子の願いが息吹きかえす

必ずしも作品を特定する必要はないのでしょうね。
岡本太郎の芸術作品の前に立った我々が「べらぼう」とその作品に驚嘆し続けるかぎり、
彼の作品はもちろん、芸術家としての彼も生き続けるし、    
つまりは太郎と敏子の芸術への思いもそのたびに息を吹き返し
いつまでもこの世に残るだろう、という作者の思いを汲み取ればいいのでしょう。

「しずかに」は、たしかに岡本太郎のイメージと違い、
彼の生前の芸術活動の激しさとは対比的に表現されていますが、
鑑賞者がまず目の前の彼の作品に驚き、それからじわじわと
彼らの「願い」に思いを馳せていると読めば違和感なく理解できます。

結句の「息吹きかえす」は、もう一工夫して個性的な表現をしてほしかったです。
 
Posted by 伊波虎英 at 2011年05月15日 11:06

この記事へのトラックバック