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義援金送付しつつも被災してあの野郎くたばってろと願う
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この記事へのコメント
意識して偽悪的な歌をつくったのだろうと思う。個人の感情は制御できない。こういう歌をつくってはいけないということはないわけだ。
Posted by 藤原龍一郎 at 2011年05月09日 08:25
藤原さんの意見に同感します。
人間の心理・こころの有様には二面性があり、どちらも、あるいは負の面だけを表現することもありえるとおもいます。
この歌の場合は、両面を出したかたちになっています。
ただ、僕には全体としてやや言い過ぎ感が感じられます。それは「しつつも」の「も」がやや強い感じがする、義捐金とあるので「被災して」はいらないかもしれない、「と願う」などが合わさった結果として感じられるのだとおもいます。
もとの歌のままの方が、作者が伝えたいことは直接に伝わるとはおもうのですが、直接表現しないで伝えられれば、よりイメージや心情が深く感じられれます。
「あの野郎くたばってろ」というぶっきらぼうな口語表現の部分は支持します。
Posted by 山寺修象 at 2011年05月09日 11:09
概ね藤原さん山寺さんのご意見と同じです。
この歌の魅力は、背反する二つの感情を
ダイレクトに一首に盛り込んだことでしょう。
心の闇を描くのも立派な文学の役割ですから、
このような歌も時事詠として充分ありでしょう。
表現面では山寺さんのおっしゃることも解るのですが、
それほど言い過ぎとは思いませんでした。
ただたしかに三句の「被災して」は、
「津波にて」か「地震にて」の方がいいかと思いました。
Posted by 生沼義朗 at 2011年05月09日 17:21
ものごとを大局的に見た場合の心持と、自分のごく近辺への感情とは、齟齬を来たすというより、別のものだと思うので、そのあたりがよく表現されていると感じます。
私のような臆病ものでは、とても手の届かない歌で、しみじみと読みました。
Posted by
楠田よはんな
at 2011年05月11日 23:00
「義援金送付」というとっても硬い、オフィシャルな言葉ではじまるので
「しつつも」のあとすぐに「あの野郎」という砕けた、激しい言葉を
もってきたほうが迫力が増すと思いました。
「被災してくたば」る、というのはわたしもちょっとおかしいカンジがします。
くたばる(死亡)=死者で、被災者は命はとりとめた人も含むわけで……。
この歌に自分の名前が添えられて永久に記録に残っても悔いなしという
(ここはインターネットなので、アクセス数やリンク数が多くなった場合、
検索サイトで名前とともに一番先に表示されることもありえるわけですが)
強い意志があれば、どんな内容を発表されるのも構わないとおもいます。
Posted by 砺波湊 at 2011年05月12日 16:55
義援金送付しつつも被災してあの野郎くたばってろと願う
被災地に「義捐金」を送りながら願っているということなので、
直接本人に「見舞金」を渡すほどの親しい間柄ではなく、今回の災害で
「そういえば、あいつもあの辺に住んでたよなあ……。」と、
たとえば短歌結社のようなゆるいつながりのある相手とか、
学生時代に嫌な思いをした相手をふと思い出しているのだろう。
そういう意味では、「被災して」という表現も気になりませんでした。
僕もこういう震災詠はありだと思いますし、
「義援金」を「見舞金」にして、普段から親しく付き合っている知人や親戚に
向けた歌と読めるくらいの毒気があるほうが好きです。
Posted by 伊波虎英 at 2011年05月14日 11:28
その昔、シュガーという女性三人組に「ウェディング・ベル」という曲がありました。元彼(あるいは仲の良かった男友達)から結婚式に呼ばれた女の子の皮肉たっぷりの胸の内を小気味よく歌った歌です。その曲の〆で「くたばっちまえ アーメン」というフレーズがあります。とても印象的です。「憎悪」と「祝福」という二律背反な気持ちを揺れ動く、単純でもあり、複雑でもある人間の思いです。
本作を読んで、その曲を思い出しました。被災地以外に住む人間にとって、被災地の復興を願わない人はいない。だから義援金も送る。でも、「あの野郎」にはさんざん痛い目にあった。くたばっていればいいと思う。「くたばって」という言葉は即ち「死んで」ということではなく、「痛い目にあって」「苦しんで」ということかと思います。誤解も受けるかもしれませんが、このような表現は技巧をともなっていると思います。
Posted by 村田馨 at 2011年05月16日 11:05
義援金を送付する行為は不特定の相手への行為であり、被災された方々への第三者的な立場からの思いの表現である一方、「被災して あの野郎くたばってろと願う」のは特定の相手への個人的な感情であって、この相反する気持は一個人の中に共存し得るものでしょう。
また「あの野郎くたばってろ」という言葉は、二人の間に親密な関係を想定すると、相手への憎悪よりむしろ偽悪的ながら相手を思いやっているようにもとれます。しかしそれにしても「被災してあの野郎くたばってろと願う」、中でも「被災して」は強い言葉なので誤解を招きかねない一首だと思います。
Posted by 村上 喬 at 2011年05月17日 18:45
こういうタイプの歌を作る人に、ある種の羨望のようなものを覚えます。
私には一生作れない歌だと思いました。歌を作ることは、それぞれの個性の発露ですから、私は私のスタイルで続けます。
Posted by 近藤かすみ at 2011年05月17日 21:14
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もとの歌のままの方が、作者が伝えたいことは直接に伝わるとはおもうのですが、直接表現しないで伝えられれば、よりイメージや心情が深く感じられれます。
「あの野郎くたばってろ」というぶっきらぼうな口語表現の部分は支持します。
この歌の魅力は、背反する二つの感情を
ダイレクトに一首に盛り込んだことでしょう。
心の闇を描くのも立派な文学の役割ですから、
このような歌も時事詠として充分ありでしょう。
表現面では山寺さんのおっしゃることも解るのですが、
それほど言い過ぎとは思いませんでした。
ただたしかに三句の「被災して」は、
「津波にて」か「地震にて」の方がいいかと思いました。
私のような臆病ものでは、とても手の届かない歌で、しみじみと読みました。
「しつつも」のあとすぐに「あの野郎」という砕けた、激しい言葉を
もってきたほうが迫力が増すと思いました。
「被災してくたば」る、というのはわたしもちょっとおかしいカンジがします。
くたばる(死亡)=死者で、被災者は命はとりとめた人も含むわけで……。
この歌に自分の名前が添えられて永久に記録に残っても悔いなしという
(ここはインターネットなので、アクセス数やリンク数が多くなった場合、
検索サイトで名前とともに一番先に表示されることもありえるわけですが)
強い意志があれば、どんな内容を発表されるのも構わないとおもいます。
義援金送付しつつも被災してあの野郎くたばってろと願う
被災地に「義捐金」を送りながら願っているということなので、
直接本人に「見舞金」を渡すほどの親しい間柄ではなく、今回の災害で
「そういえば、あいつもあの辺に住んでたよなあ……。」と、
たとえば短歌結社のようなゆるいつながりのある相手とか、
学生時代に嫌な思いをした相手をふと思い出しているのだろう。
そういう意味では、「被災して」という表現も気になりませんでした。
僕もこういう震災詠はありだと思いますし、
「義援金」を「見舞金」にして、普段から親しく付き合っている知人や親戚に
向けた歌と読めるくらいの毒気があるほうが好きです。
本作を読んで、その曲を思い出しました。被災地以外に住む人間にとって、被災地の復興を願わない人はいない。だから義援金も送る。でも、「あの野郎」にはさんざん痛い目にあった。くたばっていればいいと思う。「くたばって」という言葉は即ち「死んで」ということではなく、「痛い目にあって」「苦しんで」ということかと思います。誤解も受けるかもしれませんが、このような表現は技巧をともなっていると思います。
また「あの野郎くたばってろ」という言葉は、二人の間に親密な関係を想定すると、相手への憎悪よりむしろ偽悪的ながら相手を思いやっているようにもとれます。しかしそれにしても「被災してあの野郎くたばってろと願う」、中でも「被災して」は強い言葉なので誤解を招きかねない一首だと思います。
私には一生作れない歌だと思いました。歌を作ることは、それぞれの個性の発露ですから、私は私のスタイルで続けます。