この記事へのコメント
 物を詠んでいる歌ではありませんが、ことを具体的に詠んでいて、すっと意味が通り、一連のなかでは一番共感した作品です。
 この歌を読み、「退屈といへばきりなきベッドにて救ひのごとし昼を痛むは」竹山広「地の世」という歌を思い出しました。
 なんとなく比べて、批評させてもらえば、「変れかし」の「かし」がすこし古めかしい感じがするのと「いま切実な願ひこれのみ」は全体では、ちょっと言い過ぎていて、ダメを押した感じなっているのが気になります。
 尚、「変れ」は「変はれ」の方がいいのではないでしょうか。
Posted by 山寺修象 at 2011年05月06日 12:21
詠草の中で「願い」が1番強く感じられました。
躁鬱症に苦しんでいる方を知っていますが、やはり本人も家族も大変そうです。その事実の切実さがストレートに伝わってきました。
Posted by さとう ひろこ at 2011年05月06日 18:30
作者の気持ちが共感をもって伝わってきました。
病ではなくても、今の私どもが思っている気持ちを代弁してもらえたように思います。
Posted by 北島裕子 at 2011年05月08日 11:38
まさに日本は大きな困難の中で今鬱状態にあります。なんとか立ち直らねばなりませんが、しかし躁に変わってよくなるはずはありません。バブル期が躁状態だったのではないでしょうか。躁鬱症と言えば、北杜夫、斎藤由香親子のエッセイ等が浮かびます。ユーモアを利かせるために大げさに書いておられるのかと思っていましたが、躁鬱症というのは、自分でコントロールが効かないので本人や家族にとっていかにも大変な病です。
Posted by さとう ひろこ at 2011年05月19日 23:12
「鬱」と「躁」の語が並ぶと躁鬱病が思われます。この病状には個人差があるようですが、鬱状態よりも躁状態のほうがはるかにつらいという話をよく耳にします。
それをご承知のうえで、なお深刻な鬱状態を詠われたのであればよいのでしょうけれど、「躁」という語は安易に用いることのできないものだと考えます。
ご自身の病気ではなく、北島さんやさとうひろこさんが触れられているような日本の現状を詠われたのであれば、なおさらです。
初読時から気になっていたので、一言書かせていただきました、
Posted by 春野りりん at 2011年05月20日 03:42
病にこだわり過ぎたかも知れません。切実さがストレートに伝わったので、勝手にそう思いました。社会詠かもしれないし、単に躁鬱気味の方の悩みかもしれません。躁鬱症(気味でも)は少し距離を置いた立場からみているとナイーブさが痛ましくもあり、ユーモラスでもあり、応援したくなりますが、周りは黙って見守るしかありません。斎藤親子が書くことで救われた(?)ように短歌が支えになりますように。
Posted by さとう ひろこ at 2011年05月20日 11:44
コメントをいただいた皆様ありがとうございました。今回はさとうさんをはじめ今までにも増して嬉しく有り難く読ませていただきました。
僕の躁鬱症は多分それほど強烈なものではなく、躁のほうが大変だというような方から見たら何ほどのものでもないのかもしれませんが、それでも鬱の真っ最中には鉛筆も持てずパソコンの前にも座れません。
今回は鬱をやや抜け出しつつある時期だったので、悲鳴のような歌であっても辛うじて出来たのだろうと思っています。
僕にとっては明確に躁と思える時期は天国なのですがこの頃はそうした時期も少なくなっているようで悲しいことです。
これからも躁鬱症気質と巧く付き合っていくほかはないのかなあと考えています。
Posted by 永井秀幸 at 2011年05月24日 16:48
永井さん、コメントを不快に思われていたら、心よりお詫び申し上げます。
お大事になさってくださいね。
私も、苦しんだ分だけ元気になったときの喜びは大きいといつも思いながら過ごしています。
Posted by 春野りりん at 2011年05月25日 18:10
春野さん、あのコメントを不快に思ったことなどこれっぽっちもありませんのでご安心ください。
Posted by 永井秀幸 at 2011年05月26日 15:08

この記事へのトラックバック