2011年05月01日

第5回ネット歌会詠草/17

幼稚園受験願書にひろびろと長所欄あり花の種をまく
posted by 短歌人会 at 00:12| Comment(8) | TrackBack(0) | 第5回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「願」というワンパターンになりがちな難しい題詠に(自分で作ろうとしてみてつくづくそう感じた)受験願書を選んだのがまず手柄だと思いました。
長所欄がひろびろとあるというのも良いところに目を付けたと思う。「花の種をまく」が少しつきすぎという意見もあるかと思うが僕はいいと思います。「花の種まく」で定型に収めるのと助詞を省略せずに「を」を入れるのとどちらが良いかを考えていますが迷うばかりです。
Posted by 永井秀幸 at 2011年05月05日 17:24
>幼稚園受験願書にひろびろと長所欄あり花の種をまく

子供の幼稚園に受験願書があったかなかったかさえ記憶にありませんが、志願者の多い人気のある幼稚園なら、願書も要求されるでしょう。子供は日々成長するので、長所といっても、変わりやすく書きにくいものです。作者にはひろく感じられたと思います。何と書いていいか迷って書きあぐねている作者が、花の種をまく・・・としたセンスに感心しました。子供が順調に成長して、その幼稚園で花を咲かせてほしいという親心が現れていて、好感のもてる歌になっています。
Posted by 近藤かすみ at 2011年05月06日 21:48
「長所欄」=「花壇」、「長所」=「種」
ということなのではないかと感じました。幼児の長所は、その成長した後の人格とかそんなものの種なのであると。長所欄にいくつかの長所をポツポツと書く行為が「花の種をまく」
Posted by 久保寛容 at 2011年05月07日 01:54
読みとしては近藤さん久保さんとほぼ同じで、
願書の長所欄と土、それに子供の長所と花の種が
それぞれ呼応しているのでしょう。

ただ四句と結句のあいだを一字空けないと
そのあたりの工夫が分かりにくいかとも思いましたが、
そうすると流れが切れてしまうおそれもあり、ちょっと迷っております。

Posted by 生沼義朗 at 2011年05月08日 07:18

幼稚園受験願書にひろびろと長所欄あり花の種をまく


長所欄を「ひろびろと」と言えるほどとってある願書。
幼子の長所をたくさん書き込んでほしい、その良さを
伸ばしてあげたいという幼稚園の意識が出ている、
そんな願書を作った幼稚園への信頼を感じさせます。

結句は、SMAP[世界に一つだけの花」を連想しました。
種はひとりの幼子のたくさんの長所が種なのかとも思えますが、
やはり一粒一粒が、一人一人のこ子どもたちで、みな異なる個性が、
それぞれの花を咲かせるととる方が自然かと思います。

敢えて八音にした結句の「を」は、効いていると思います。
調べをゆったりとさせ、種を蒔く地の広さと、そこから芽が出て伸びていく
ゆったりとした時間を感じさせるような効果を生んでいます。

表記の「ひろびろと」を平仮名にして、視覚的に欄のひろさを
イメージさせたのも、効果的で、緻密に構成された技巧的な歌なのに、
それを窮屈に感じさせないところ、成功していると思います。



Posted by 梶崎恭子 at 2011年05月08日 08:14
一連の中で、一番に好きな歌ですけれど、ここまでの皆さんの読みに助けられて、より、良い歌だと思えるようになりました。

生沼さんの指摘の四句と結句のあいだを一字あけるかどうかは、確かに悩ましいところです。
声に読むときには、一呼吸明けて読みますので、一字あけを入れたいところですけれど、目に読むときには、少しばかり間延びする気もします。
なんて言うか、こころがひらけてゆく、そんな歌です。
Posted by 弘井文子 at 2011年05月09日 20:28
花の種をまく、が実際の行動か暗喩か(花の種をまくように、少し大げさに?
長所を沢山書いたということか)迷いました。
が、幼稚園に入るのに長所を挙げなきゃいけないなんて…と呆然としたあとに
もういいやそんなの、とばかりに花の種をまいた方が面白いとおもうので、
そちらをとりたいです。
あり、のあとの一字あけがあった方がしばらくポカンとしたみたいな
時間の経過が伝わるかなぁとおもいます。
種だってまいても芽を出さないものもあるし、人間なんてもっとわからないよ
とりあえず育ててみなくちゃ、というような飄々としたカンジがしました。
Posted by 砺波湊 at 2011年05月10日 18:14
幼稚園受験願書にひろびろと長所欄あり花の種をまく

いわゆる「お受験」なので、きっと願書にひろびろとある長所欄は、
「こうあってほしい」という親の希望的観測でかなり脚色されて埋められてゆくはず。
それを「花の種をまく」と表現したのだろう。そこを読み手としては、
わが子への親の純粋な願いというようにあまり好意的に読むべきではない。
子供への願いには違いないけれども、わが子に幼稚園から「お受験」をさせる親が願書を前にして、
自虐的あるいは自己弁護的に「花の種をまく」と美しい比喩表現で取り繕っている
と読んだほうが断然深みのある1首になります。

いずれにしろ、「受験願書」でお題の「願」を詠み込みつつ
親の子供への「願」いも歌の中に詠み込んであるのはうまいなと思いました。

結句は「花の種まく」と7音におさめたほうが1首が引き締まっていいです。
それと「長所欄あり」のあとは1字空けたほうが
「花の種まく」という比喩のインパクトが増していいと思いました。
 
Posted by 伊波虎英 at 2011年05月14日 02:47

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