この記事へのコメント
四句目の「再起をねがふ」に作者の思いが込められていると読みました。
幸福の木が、幸福を呼ぶかどうかは疑問ですが、ネーミングから、幸福や再起を願うひとが育てる植物という印象があります。そのため、「再起をねがふ」と「幸福の木」が重なっている感じがします。作者が一番言いたいことである「再起をねがふ」を別の言葉、たとえば「幸福の木」の様子などを入れたらどうでしょうか。
Posted by 近藤かすみ at 2011年05月11日 21:50
日当りのよきベランダに持ちだせり再起をねがふ「幸福の木」を

「再起をねがふ」は「再起をねがひ」としたほうがいいと思いました。
「再起をねがふ幸福の木」では、ただ単に枯れかけの植物を
日当たりの良いベランダに出したという歌ですが、
「再起をねがひ幸福の木」だと、自分自身の再起の願いも込めて
幸福の木を日当たりの良いベランダに出したというふうにも解釈できて
1首に広がりが生まれたのではないでしょうか。
 
Posted by 伊波虎英 at 2011年05月13日 11:53
枯らしてしまった(または元気がなくなった)「幸福の木」を日当たりの良いベランダに持ち出したという具体を詠って、喩を感受させる、ということを作者が考えておられるのであれば、下句は、
「幸福の木」の再起をねがひ
とした方が良いように思うのですが、いかがでしょうか。下句を「再起をねがふ」から始めると、いかにも「これは喩ですよ」ということがあからさまであるように思われます。「再起をねがふ」というのは、ふつう、木には使わないことばで、人に対して(またはその意味を拡大して街などや、現今の状況からの再起というように)使われることばですから。
Posted by 大室ゆらぎ at 2011年05月15日 16:55

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