2011年05月01日

第5回ネット歌会詠草/13

行く末は黒瀬珂瀾が住職とならむ寺の名願念寺とう
posted by 短歌人会 at 00:16| Comment(3) | TrackBack(0) | 第5回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
浄土真宗は「人間は何かを食べる、すなわち殺さなければ生きていけない悲しい存在、愛がなければ生きていけないさびしい存在」

ということで、念仏することしかできないのです。ひたすら、お願いします、と念じます。これが本来の「他力本願」です。絶体絶命のときは、誰だってお願いするのみです。

若住職の住む寺が願念寺。リズムも小気味良いのです。最初に彼自身の名がリズミカルなもので、プラスだし一読すらすら読めてしまうんです。
Posted by ふゆのゆふ at 2011年05月07日 21:46
前評者の「リズムも小気味良いのです」という意見には賛成で「願」の題での歌として成功しているように思います。ただし若手歌人黒瀬珂瀾が願念寺という寺の跡継ぎだということが事実であればとすればですが。
前評者の「若住職の住む寺が願念寺」と書かれている意味が僕には分りません。それに「願念寺とう」は八音になっても「願念寺という」のほうが良いと僕は思います。
Posted by 永井秀幸 at 2011年05月10日 17:43
ある種、楽屋落ちのような一首です。黒瀬珂瀾さんが僧籍を有していることは知っていますが、願念寺という寺の跡継ぎであることは初めて知りました。このような詠い方をしているので、これは事実と判断します。「願」の題詠としては面白い扱いと感じました。
Posted by 村田馨 at 2011年05月11日 09:10

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