この記事へのコメント
投げやりになってしまった少年を作者が温かく見ている歌と読みました。
満天星躑躅に思いを託しているようです。
作者と少年はどんな関係なのでしょう。親子か、先生と生徒か・・・。
しかし、植物である満天星躑躅が「あたたかく咲く」というのには疑問を感じます。ここに作者の主観が入っているようですが、ただ咲いているだけでもいいのではないでしょうか。
Posted by 近藤かすみ at 2011年05月09日 00:40
満天星躑躅のあたたかさは、そのまま少年を見守る人のまなざしのあたたかさなのですね。

ドウダンツツジの表記は、手元の辞書数冊によれば「満天星」か「灯台躑躅」となっていますが、この一首のような表記もあるのでしょうか。

題詠なのでとても難しいですが、「願望」や「希望」の内容がもう少し具体的にイメージできると、少年のリアリティーが増すように感じました。
かすみさんもご指摘ですが、「あたたかく」は満天星の花の姿だけでわかりますので、この語の代わりに何か具体を入れられてはいかがでしょうか。
Posted by 春野りりん at 2011年05月09日 06:01
作者の目(春野さんの言葉で言えばまなざし)の温かさが感じられて好感を持って詠んだ歌でした。
しかし、ドウダンツツジの花はいま我が家の庭に咲いていますが小さな白い花で清楚さは感じられますがあたたかさという感じは僕には感じられず、そこに違和感を感じました。もっとも春野さんの言われるようにその小さな白い花にさえ、少年を見守る温かなまなざしが投影されているので温かく見えるのだと言えるのかもしれませんが。
ドウダンツツジの表記は「満天星」だけでよいと思います。
Posted by 永井秀幸 at 2011年05月09日 17:14
前のコメントで「かすみさんもご指摘ですが」と書きましたが、引用の仕方が不正確でした。
申し訳ありませんでした。

作者の方は、永井さんのおっしゃるように満天星がふつうあまりあたたかさを感じさせない花だという理由で「あたたかく」と詠われたのかもしれませんね。
大輪の花や鮮やかな花でなくても、満天星が咲いている姿を合わせ詠むことによって、見守っている心情を十分伝えることができるように思いましたので、上記のように書かせていただきました。
Posted by 春野りりん at 2011年05月09日 18:30
少年は作者自身のような気がします。
何歳になっても、大人になりきれない。
かといって願望や希望がいっぱいの本当の少年期とは違う。

ドウダンツツジに「満点星」という文字があてられているんですね。
「落第点のオレ」が「満点星」に春のあたたかさを感じられているのでしょうか。
Posted by 三田村まどか at 2011年05月14日 04:55

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