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2011年05月01日
第5回ネット歌会詠草/6
歌作り上手くなるよう願うれど実は長寿に効く寺なりけり
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posted by 短歌人会 at 00:23|
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この記事へのコメント
歌が上手くなりたいという作者の素直な願いが表れていて、好感を持ちました。
お寺や神社は、それぞれ得意分野があるようで、長寿、安産、学業(受験合格祈願)、商売繁盛、家内安全などなど。
神頼みと言っても結局本人の精進次第だと私は思います。多少ピントが外れていても、願う気持ちと、本人の努力があれば、上手くなっていくと思います。
歌としては、結句の「なりけり」が大げさない感じがしますが、これも「おかしみ」を醸し出しているとも言えます。
Posted by 近藤かすみ at 2011年05月11日 21:38
「願うれど」は「願えれど」(旧かななら「願へれど」)が正しいとおもいます。意味的には「願ったけれども」でしょうから。
僕自身もあまり文法には詳しすぎる方ではないのですが。辞書でしっかり調べるようにしています。電子辞書には古語辞典もは入っているものも多いです。
文法的に間違っている場合は、何回も声に出して読めば、(日本の歴史上、使われなかった言い方なので)何だか変だな、と自分で感じられることが多いです。
「実は」という言い方で繋ぐかたちは、上句と下句の内容を入れ替えれば、使わずにすむとおもいます。
Posted by 山寺修象 at 2011年05月12日 08:36
「願う」(旧かななら「願ふ」)は四段活用の他動詞で、下二段活用の形は無いようですから、その已然形は「願えど」(旧かななら「願へど」)だろうと思います。
もし下二段活用だったら「願うれど」(旧かななら「願ふれど」)になるのでしょうが、手元の古語辞典にはその形は有りません。「願えれど」(旧かな「願へれど」)という語法はすくなくとも古語には無いと思います。
したがって「願えども」にしたらどうでしょうか。
Posted by 永井秀幸 at 2011年05月12日 17:02
しったかぶりですみませんでした。文法的に永井さんの指摘どおりだとおもいます。
時制が過去なので、単純に「願いしが」あるいは「願ひしが」でいいとおもいます。
今回の件とは直説は関係ないかも知れませんが、「現代の文語」を短歌に使う時、古語にはない使い方の場合、悩ましいことがあります。
Posted by 山寺修象 at 2011年05月12日 20:47
「けり」を過去の意味合いの強い気持ちで使っておられるなら「願いしが」(「やう」でなく「よう」と書かれているので新かな)がよさそうだし、詠嘆、寺だったんだなあ、という意味合いで使っておられるのなら「願えども」が良いのではないかという気がします。
Posted by 永井秀幸 at 2011年05月13日 16:46
ワタシも「実は」はいらないかなぁと思います。
「実は」のところで、ここからオチですよ、と教えちゃうカンジがするので……。
「〜に効く寺」という言い方も面白いし「なりけり」もわざとらしいくらい
古めかしく硬く言っているので十分「実は○○でした!」の気分は伝わるかと。
健康で長生きしたらそのぶん歌と沢山触れ合えるので結果オーライでは?
Posted by 砺波湊 at 2011年05月16日 15:07
ほのぼのとしたおかしみのある、感じのよい一首ですね。
「願うれど」の文法的な点は、永井さんのおっしゃるとおりだと思います。
「実は」についても、永井さん砺波さんと同じ感想をもちました。おもしろいという感想を詠み手が強調せずに読者に手渡すほうが、読者が深く味わえる気がします。
さらに言えば、三句で逆接にせず、三句切れにするか順接でつなぐと、結句の「なりけり」の飄々とした味わいがいっそう増すようにも思いました。
Posted by 春野りりん at 2011年05月16日 18:16
先に問題になった「願へれど」という形は、古語にあると思います。
「願ふ」の命令形「願へ」+完了・存続の助動詞「り」の已然形+接続助詞「ど」。
Posted by 大室ゆらぎ at 2011年05月24日 16:39
山寺さん、しったかぶりですみませんでした。お詫びします。
上記、大室さんの言われる通りと思います。ただし僕の手許にある古語辞典二種では「「願ふ」の命令形「願へ」」の部分の「命令形」は「四段動詞の已然形」となっています。文法は難しい!
Posted by 永井秀幸 at 2011年05月25日 15:17
文法や表記は微妙なところがあります。
僕は古語と古典文法を使って作っているのではなく、現代語と現代の文語文法を使って短歌を作っているとおもっています。
漢字は新漢字、ひらがなは旧かな、カタカナは新カナ、「会話の部分」は主に新かなを使っています。よく考えれば「重箱湯桶読み」みたいな感じで、なんとも無茶苦茶な感じがしないではありません。
そうかといって、新かなで書くと、僕には、旧かなが大相撲だとすると、紙相撲をとるような感じがします。
「〜といふ」などは戦前までの表記では「〜てふ」でしょうが、僕は「〜といふ」を使っています。
Posted by 山寺修象 at 2011年05月25日 22:26
訂正
前記中の「新かなで作ったら」は「自分の短歌を口語新かなで作ったら」と訂正します。
Posted by 山寺修象 at 2011年05月25日 22:48
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歌としては、結句の「なりけり」が大げさない感じがしますが、これも「おかしみ」を醸し出しているとも言えます。
僕自身もあまり文法には詳しすぎる方ではないのですが。辞書でしっかり調べるようにしています。電子辞書には古語辞典もは入っているものも多いです。
文法的に間違っている場合は、何回も声に出して読めば、(日本の歴史上、使われなかった言い方なので)何だか変だな、と自分で感じられることが多いです。
「実は」という言い方で繋ぐかたちは、上句と下句の内容を入れ替えれば、使わずにすむとおもいます。
もし下二段活用だったら「願うれど」(旧かななら「願ふれど」)になるのでしょうが、手元の古語辞典にはその形は有りません。「願えれど」(旧かな「願へれど」)という語法はすくなくとも古語には無いと思います。
したがって「願えども」にしたらどうでしょうか。
時制が過去なので、単純に「願いしが」あるいは「願ひしが」でいいとおもいます。
今回の件とは直説は関係ないかも知れませんが、「現代の文語」を短歌に使う時、古語にはない使い方の場合、悩ましいことがあります。
「実は」のところで、ここからオチですよ、と教えちゃうカンジがするので……。
「〜に効く寺」という言い方も面白いし「なりけり」もわざとらしいくらい
古めかしく硬く言っているので十分「実は○○でした!」の気分は伝わるかと。
健康で長生きしたらそのぶん歌と沢山触れ合えるので結果オーライでは?
「願うれど」の文法的な点は、永井さんのおっしゃるとおりだと思います。
「実は」についても、永井さん砺波さんと同じ感想をもちました。おもしろいという感想を詠み手が強調せずに読者に手渡すほうが、読者が深く味わえる気がします。
さらに言えば、三句で逆接にせず、三句切れにするか順接でつなぐと、結句の「なりけり」の飄々とした味わいがいっそう増すようにも思いました。
「願ふ」の命令形「願へ」+完了・存続の助動詞「り」の已然形+接続助詞「ど」。
上記、大室さんの言われる通りと思います。ただし僕の手許にある古語辞典二種では「「願ふ」の命令形「願へ」」の部分の「命令形」は「四段動詞の已然形」となっています。文法は難しい!
僕は古語と古典文法を使って作っているのではなく、現代語と現代の文語文法を使って短歌を作っているとおもっています。
漢字は新漢字、ひらがなは旧かな、カタカナは新カナ、「会話の部分」は主に新かなを使っています。よく考えれば「重箱湯桶読み」みたいな感じで、なんとも無茶苦茶な感じがしないではありません。
そうかといって、新かなで書くと、僕には、旧かなが大相撲だとすると、紙相撲をとるような感じがします。
「〜といふ」などは戦前までの表記では「〜てふ」でしょうが、僕は「〜といふ」を使っています。
前記中の「新かなで作ったら」は「自分の短歌を口語新かなで作ったら」と訂正します。