スマートフォン専用ページを表示
短歌人ネット歌会場
短歌人会の公式なネット歌会会場です。
閲覧はどなたさまもできますが、出詠およびコメントは短歌人のメンバーのみに限定させて戴きます。
<<
第5回ネット歌会詠草/6
|
TOP
|
第5回ネット歌会詠草/4
>>
2011年05月01日
第5回ネット歌会詠草/5
災厄よ疾く去れかしといふ願ひそれを名づけて祈りというらむ
【関連する記事】
第5回短歌人ネット歌会作者名発表
第5回ネット歌会詠草提出者一覧
第5回ネット歌会詠草一覧
第5回ネット歌会詠草/1
第5回ネット歌会詠草/2
第5回ネット歌会詠草/3
第5回ネット歌会詠草/4
第5回ネット歌会詠草/6
第5回ネット歌会詠草/7
第5回ネット歌会詠草/8
第5回ネット歌会詠草/9
第5回ネット歌会詠草/10
第5回ネット歌会詠草/11
第5回ネット歌会詠草/12
第5回ネット歌会詠草/13
第5回ネット歌会詠草/14
第5回ネット歌会詠草/15
第5回ネット歌会詠草/16
第5回ネット歌会詠草/17
第5回ネット歌会詠草/18
posted by 短歌人会 at 00:24|
Comment(3)
|
TrackBack(0)
|
第5回歌会
|
|
この記事へのコメント
東日本大震災のことや、プライベートな個人の悩み事、困りごとなどを「災厄」ととらえて、早く去ってほしいと思うのは、切実な願いです。
「願」の字を入れなければならない制約の中で、上句は納得でき、共感できますが、下句は重ねて言っていて説明的な感じがします。
願いと祈りの違いはなんでしょう。
下句で、作者が具体的にこういうことをしている、といったことを詠んでみたら、別の面白みが出るのではないでしょうか。
Posted by 近藤かすみ at 2011年05月07日 11:17
この歌は、ある意味ではできているので、いろいろ変える必要はないのではないでしょうか。下句は重なっているのではなく、こういう時だからこそ「願い」が「祈り」に成り得る(ことがある)ということを言っているのだとおもいます。
ただ「それを名づけて」という部分が理窟っぽい感じなので、この語は使わない形の方がすっきりするとおもいます。
あと、僕は(日常詠の連続としての)境涯詠派なので特にそうおもうのですが、この歌は何らかの形での当事者として作られたのであれば、よりリアリティーがあり、そうでなければ、やや他人事(ひとごと)っぽい作品かもしれません。
Posted by 山寺修象 at 2011年05月08日 01:03
三句からすると旧かなで作っておられるようなので、結句「いう」は「いふ」ですね。
「願ひ」と「祈り」は似ていますが、その違いをうまく歌にされていると思います。
ただ、山寺さんもご指摘のように「それを名づけて」が理屈っぽくなっていて、そこがもったいないように感じます。
また、きっと作者の方は祈るような思いでこの一首を作られたのでしょうが、この語によって、山寺さんのおっしゃるような他人事っぽさが出てしまっているのではないでしょうか。
Posted by 春野りりん at 2011年05月09日 05:55
この記事へのトラックバック
検索
<<
2024年03月
>>
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
最近のコメント
第52回ネット歌会詠草/5
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 大野奈美江 (02/27)
⇒ 亀尾美香 (02/25)
⇒ 寺阪誠記 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/4
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 寺阪誠記 (02/25)
⇒ 光本博 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/3
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 大野奈美江 (02/27)
⇒ 鎌田章子 (02/24)
第52回ネット歌会詠草/2
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 馬淵のり子 (02/23)
第52回ネット歌会詠草/1
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 加藤隆枝 (02/27)
⇒ 大野奈美江 (02/24)
⇒ 光本博 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/20
⇒ 清水 紀久子 (03/08)
⇒ 堀部明兎 (03/02)
第52回ネット歌会詠草/15
⇒ 寺阪誠記 (03/07)
⇒ 大野奈美江 (02/23)
⇒ 堀部明兎 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/19
⇒ 堀部明兎 (03/02)
⇒ 加藤隆枝 (02/27)
⇒ 馬淵のり子 (02/23)
第52回ネット歌会詠草/12
⇒ 堀部明兎 (03/02)
⇒ 花澤孝 (02/26)
⇒ 亀尾美香 (02/25)
⇒ 伊藤まり (02/25)
⇒ 光本博 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/8
⇒ 堀部明兎 (03/01)
⇒ 大野奈美江 (02/25)
⇒ 鎌田章子 (02/24)
最近の記事
(01/01)
短歌人ネット歌会のお知らせ
(03/19)
第52回短歌人ネット歌会作者名発表
(02/17)
第52回ネット歌会参加者一覧
(02/17)
第52回短歌人ネット歌会詠草一覧
カテゴリ
日記
(0)
歌会告知
(6)
第1回歌会
(40)
お知らせ
(4)
第2回歌会
(32)
第3回歌会
(40)
第4回歌会
(48)
第5回歌会
(32)
第6回歌会
(33)
第7回歌会
(38)
第8回歌会
(35)
第9回歌会
(43)
第10回歌会
(36)
第11回歌会
(31)
第12回歌会
(31)
第13回歌会
(34)
第14回歌会
(32)
第15回歌会
(32)
第16回歌会
(30)
第17回歌会
(33)
過去ログ
2025年01月
(1)
2024年03月
(1)
2024年02月
(23)
2023年09月
(1)
2023年08月
(18)
2023年07月
(1)
2023年03月
(1)
2023年02月
(27)
2023年01月
(1)
2022年09月
(1)
2022年08月
(22)
2022年07月
(1)
2022年03月
(1)
2022年02月
(28)
2022年01月
(1)
2021年12月
(1)
2021年11月
(27)
2021年09月
(1)
2021年08月
(24)
2021年07月
(1)
「願」の字を入れなければならない制約の中で、上句は納得でき、共感できますが、下句は重ねて言っていて説明的な感じがします。
願いと祈りの違いはなんでしょう。
下句で、作者が具体的にこういうことをしている、といったことを詠んでみたら、別の面白みが出るのではないでしょうか。
ただ「それを名づけて」という部分が理窟っぽい感じなので、この語は使わない形の方がすっきりするとおもいます。
あと、僕は(日常詠の連続としての)境涯詠派なので特にそうおもうのですが、この歌は何らかの形での当事者として作られたのであれば、よりリアリティーがあり、そうでなければ、やや他人事(ひとごと)っぽい作品かもしれません。
「願ひ」と「祈り」は似ていますが、その違いをうまく歌にされていると思います。
ただ、山寺さんもご指摘のように「それを名づけて」が理屈っぽくなっていて、そこがもったいないように感じます。
また、きっと作者の方は祈るような思いでこの一首を作られたのでしょうが、この語によって、山寺さんのおっしゃるような他人事っぽさが出てしまっているのではないでしょうか。