2011年05月01日

第5回ネット歌会詠草/3

かの曲と願いましてはアンテナの鵯は啼きたり"Let be." 嗚呼
posted by 短歌人会 at 00:26| Comment(3) | TrackBack(0) | 第5回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「かの曲と願いましては」はソロバンの「ご破算で願いましては」にかけた作者のユーモアでしょうか。
「アンテナの鵯」はアンテナにとまっている鵯でしょうけれど、鵯がアンテナの役割となって…、とも読める気もします。
"Let be."はビートルズの"Let It Be"ではなくて、他に"Let be."で始まる歌でしょうか。
うまく読めずにいます。どなたか読解を。
Posted by 弘井文子 at 2011年05月13日 17:28
ナンセンスなモダニズムの境地でしょうか。
いうなれば、ジェイムズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」みたいな感じでしょうかね。
天衣無縫の知的な操作が面白く、私は今回のナンバーワンです。

「鵯」は「ひよ」と訓ませるのでしょうか。私には意味不明ですが、独特の情感がありますね。

“Let be” は、ほぼ間違いなく、「Let It Be」のことでしょう。
私にとっては思春期に魂を震撼された名曲、作者にとっては青春の追憶なのかも知れません。

ただ、「let」は他動詞ですから、「Let me see」、「Let him do」、「Let us go=Let's go」など、必ず目的語(名詞)を伴います。

英文法はかなりリゴラス(厳格)なところがあり、一語抜けても意味を成さなくなる場合が多いと思います。

「To be or not to be」を「Be or not be」といっているようなものですから、これはどう見てもミステイク。

なお、「Let it be」という文言は、もともと新約聖書ルカ伝福音書第1章の、いわゆる「受胎告知」の場面に出てくるもので、大天使ガブリエルに対して処女マリア(ヴァージン・メアリー)が答える、
「見よ、われは主の婢女(はしため)なり、御言(みことば)のままになれかし」(文語訳)に依っています。

レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作をはじめ、泰西絵画が繰り返しモチーフにしている場面であり、キリスト教思想の奥義である「予定説(プレデスティネーション)」を受け入れることをマリアが口にした重大な文言です。

この2句目は、少し古めの英訳では、「Let it be done to me by thy word」などとなっており、英語圏ではこの形で人口に膾炙しているものと思われます。

それをビートルズ(この曲ではポール・マッカートニー)が引用し、
「聖母マリアがやってきて、智慧の言葉を語った『なるがままに Let it be』」と歌いました。

しかし、このような西洋宗教思想を踏まえた解釈は、ほとんどの方が知らないと思いますので、この場合無視して差支えないと思われます。
Posted by 坂本野原 at 2011年05月14日 11:19
 
かの曲と願いましてはアンテナの鵯は啼きたり"Let be." 嗚呼

"Let be."というのは、ビートルズの「Let It Be」で間違いないと思います。
最後に「嗚呼」とまで言っているので、かなり思い入れのある曲なのでしょう。
だから"Let be."というのは表記ミスではなく、意図的なものだと思います。
この曲のサビの部分、僕には「レルビー、レルビー、……」と聞こえるのですが、
この作者には「Let It Be」は "Let be."と聞こえるのでしょう。
ただ、"Let be."が表記ミスでないということを読み手にわかってもらう工夫は必要。
たとえば、(「嗚呼」というのも過剰なので削って) "Let be , Let be ……" とするとか、
これは僕の聞こえ方ですが「レルビー、レルビー、……」というふうにカタカナ表記にするとか。

鵯の鳴き声が、"Let be."というふうに聞こえ、
ビートルズの「Let It Be」とその曲にまつわる思い出が甦ってきた嗚呼……、
というような内容の歌と理解すればいいのでしょうか?
詠い出しの「かの曲と願いましては」というのがよくわからず、出だしでつまずいてうまく読み解けません。
 
Posted by 伊波虎英 at 2011年05月15日 11:43

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