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2011年07月01日
第6回ネット歌会詠草/28
服のまま湯船にしずむいつまでも鳴りつづいてる電話無視して
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この記事へのコメント
例えばこんなシーンを連想しました。
恋人とけんか別れして帰宅、怒り、悲しみ、悔しさ、惨めさなど騒立つ感情のまま、思わず水を張った湯船にとびこみ、服が水を吸っていく間じっとしている。水の冷たさに次第に冷静さを取り戻し、この重たい、気持ち悪い服を脱ぐように「あんな奴捨ててしまおう」と立ち上がる。
Posted by さとう ひろこ at 2011年07月05日 16:02
場面はすっきり伝わるが、その背景・原因は読み手の経験則に委ねられるというタイプの作品です。
さとうさんの解釈に同意します。
一点のみ追加すれば、この「電話」は固定電話のほうが面白い。テーブルに放り投げた携帯というのが今風でしょうが、相手の男との腐れ縁や、彼女の暮らしているスペース=戸建てではなく小さなアパート、追い炊きをするような浴槽などは、固定電話のほうがリアルじゃないでしょうか。いかがでしょう。
Posted by 西王 at 2011年07月08日 04:47
私も、大体さとうひろこさんと同様のシーンをイメージしました。
服のまま水にしずむというのは入水をもイメージさせますが、作中主体が入っているのは、多分それほど広くはないバスタブであり、しかも水ではなく生温かいお湯ではないでしょうか。少々おかしみのある作中主体像にほのかなペーソスも感じられます。
とてもシュールな一首で,印象に残りました。
Posted by 春野りりん at 2011年07月08日 07:32
読んで意味がすんなりとれます。
しかし、僕には、一読して言葉の選択がすこしあらいようにおもわれます。「いつまでも」と「無視して」を使わない形で一首にしたいところです。
Posted by 山寺修象 at 2011年07月08日 08:38
書き忘れ
「しずむ」という自動詞については、りりんさんのコメントにもありますが、一首のなかではマッチしていないようにもおもえます。意味的には「しずめ(る)」でしょうが、なにか自分の行為を客観視しているような感じをだすため「しずむ」としてあるのでしょうか。
Posted by 山寺修象 at 2011年07月08日 09:55
まるで映画の1シーンを見るような印象深い一首です。さとうひろこさんの読みに共感を覚えますが、「立ち上がる」までにはもう少し時間が必要かも知れません。電話は服のまま浴室に入った状況を考えると、「今風の携帯電話」が見えるところで鳴っているというように読ませていただきました。
Posted by 村上 喬 at 2011年07月10日 11:44
服のまま湯船にしずむいつまでも鳴りつづいてる電話無視して
岡井隆の「薔薇抱いて湯に沈むときあふれたるかなしき音を人知るなゆめ」を即思い浮かべます。
上句にはマンガか劇画の影響を強く感じます。
バスタブに水または湯をはるまで服を着たままで怒り、悲しみ続けているのでしょうか? その間待つにはそうとうの冷静さと忍耐力が必要です。何のためにそんなことを? 服を着たままでバスタブに沈むために?
ふつうの人なら、ベッドに転がって天井を仰ぐほうが手っ取り早いと思うし、当事者の心身として、バスルームでじっと待つよりは即自分を癒してくれる「ベッドに転がる」方を選ぶのが自然だと思いますが。
Posted by 花鳥(かとり)もも at 2011年07月10日 12:56
山寺さんのコメントに同感です。
シーンとしては「服のまま湯船にしずむ」が、新鮮に感じます。
激しい感情の発露で、ここまではあまりやらないと思いますので、
そういう意味でおおっ!と思わせられます。
しかし、「無視して」は、オチを自分でつけてしまった
印象で、もったいない気がします。
Posted by 梶崎恭子 at 2011年07月14日 18:19
シュールな一首。「服を着たまま湯船」という設定が若い。ただ結句の「無視して」で答えが出過ぎでちょっと惜しいと思う。
Posted by 間 ルリ at 2011年07月18日 18:51
映画のワンシーンのような描写に心惹かれた作品です。
作者はあえて現実にはありえそうにない状況を描いているような気がします。
作中主体の行動からキザな印象や、いかにも演技のような嘘くさい印象を受けるのですが、読むと不思議と愉快に感じられます。
ここで描かれた状況が何かの比喩になっているように思えるのですが、それが何かははっきりと分かりません。
Posted by 太田賢士朗 at 2011年07月19日 03:18
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シーンとしては「服のまま湯船にしずむ」が、新鮮に感じます。
激しい感情の発露で、ここまではあまりやらないと思いますので、
そういう意味でおおっ!と思わせられます。
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印象で、もったいない気がします。
作者はあえて現実にはありえそうにない状況を描いているような気がします。
作中主体の行動からキザな印象や、いかにも演技のような嘘くさい印象を受けるのですが、読むと不思議と愉快に感じられます。
ここで描かれた状況が何かの比喩になっているように思えるのですが、それが何かははっきりと分かりません。