この記事へのコメント
僕の年代(年寄りです)ではこの夫婦の在り方はかなり分かりますが、日本の夫婦も変わってきているのではないかという気もします。
「向きあうて」「食うてをる」のう音便はそれなりに効いているように思います。
「苔のむすまで」は「君が代」からきていて、ずっと苔のむすまでも長くこれからも続いてゆくだろう、と言っているのかと思いますが、作者がねらったような効果が出ているかやや疑問に思いました。
Posted by 永井秀幸 at 2011年07月13日 17:23
たしかに、このような夫婦像が一般的であった時代もあるのでしょう。
欧米などではこういった情景はあまりないのかもしれず、歌意はわかるのですが、「日本の」とまとめてしまったところにやや無理があるようにも感じました。
ある夫婦の物語として呈示されれば、また違った感想が生まれ、君が代からとられた「苔のむすまで」の味わいも違ってくることと思います。
Posted by 春野りりん at 2011年07月13日 19:34
永井さんと春野さんのコメントを納得しつつ読みましたが、今回、私がもっとも気になった作品でもあります。

ひとことで言えば、いやらしい。短歌人で言えば小池光のいやらしさにに似通う。

歌意はすっきりだから、あえて言わないが、
私のように古典文法派からいえば、なんとなくむかむかする。

私なら

 向きあひて黙つて飯を食ひてゐる日本の夫婦苔のむすまで

と表記するだろう。

現代仮名遣いの人なら

 向きあって黙って飯を食っている日本の夫婦苔のむすまで

と表記する。

「君が代」という唄はどうであったか、とか、音便の仮名遣いは整理できているのか、とか、いやなメッセージをステテコ風に提示している。

いかがでしょう。


Posted by 西王 燦 at 2011年07月14日 20:26
上のコメントはいたずらに作品と作者を貶めるような印象を与えたかもしれません。ごめんなさい。要因は経験的読者である私の側にあります。

向き合った夫婦の間には「卓袱台」が目に浮かびます。この「昭和」のままの光景に、私自身がうまく決着をつけていないのではないだろうか、と。

音便の表記のほかに、ローリング・ストーンズ世代の私は、「苔のむすまで」という君が代の歌詞にも、うまく決着が付いていない。
Posted by 西王 燦 at 2011年07月16日 14:06
 
向きあうて黙つて飯を食うてをる日本の夫婦苔のむすまで

一般論としての日本の夫婦を詠んだ歌であれば、
確かにこのような夫婦は今は珍しいのかもしれないし、
結句で一気に俗っぽくまとめてしまったのがとても残念ではあります。
しかしながら、
震災の避難場所の情景、震災詠として読めば、
また感じ方は違って来ますから、
本当に短歌というのはやっかいなものです。

Posted by 伊波虎英 at 2011年07月20日 12:04

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