2011年07月01日

第6回ネット歌会詠草/20

すめろぎの跪けどもくにつちに穢れたる塵ゆめふりやまず
posted by 短歌人会 at 00:10| Comment(5) | TrackBack(0) | 第6回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「公私のない詩形」と呼ばれる短歌におけるなかなかの正統派力作であり、意欲作だと思う。

天皇皇后両陛下が行幸啓遊ばされて被災地の避難所をご訪問され、被災者全員の前に跪いて励まされた国民周知のニュースを念頭に、それにもかかわらず、国土に放射性物質の「穢れた」塵が決して降りやむことはない──。

天皇の祈りでさえも、現代文明の科学技術がもたらしたこの未曽有の災禍に対しては無力なのだろうかと、作者は衷心から嘆いている。
現代の事象に、一種の古代アニミズム的な感覚と格調を持ち込んでいる表現上の冒険は買えると思う。

ただ、「ゆめ」という副詞は、「ゆめゆめ(努々)」の形で現在でも通用するけれども、こういう風に使っていいのかどうか、かすかな違和感がある。
否定語を伴うのは当然としても、強い禁止・命令のニュアンスが強いように私は思っているので、この用法でいいのかどうか、古典文法に詳しい方の解説をお願い申し上げたい。
Posted by 坂本野原 at 2011年07月10日 14:04
古典文法に詳しい者の簡潔な意見として言えば、この「ゆめ」の使い方には無理があります。「ゆめ」を使うならば、「ゆめふりつむな」というのが典型です。

しかし、あえて古典的用語を使いながら、デカダンスを伝えようとする皮肉かもしれません。戦前戦中の作なら不敬罪でありましょうから。
Posted by 西王 燦 at 2011年07月10日 19:37
扱われている内容が内容だけに、前評はいささかへっぴり腰で書きましたが、西王さんのおっしゃる通り、この歌が全体として非常にシニカルでデカダンな視線で詠われている可能性はあると思います。

・・・斉藤斎藤氏の最近の問題作を連想しました。

真心の「板の間」正座60分に129人が涙した !(「短歌人」7月号)

http://plaza.rakuten.co.jp/meganebiz/diary/201106280001/
Posted by 坂本野原 at 2011年07月11日 09:52
印象に残った歌でした。
「ゆめふりやまず」についてですが、手元にある福武古語辞典初版と旺文社古語辞典八版には@禁止表現を伴って、に続くAに(下に打ち消しの語を伴って)少しも。まったく。として「落窪の君とゆめ知らず」の例を引いています。どちらの辞典も同じこの一例しか引いてないのはやや弱い気はするのですが、この辞典を信じる限り「ゆめふりやまず」という言い方は充分有り得るのではないでしょうか。
天皇陛下がいかにひざまずいても放射性物質で汚れた塵が降りやまないのは理の当然で、その意味では不敬の程度は緩い気もします。言外に避難所の人たちや被災者は慰められた、力づけられたと言いたいのでしょうか。いろいろ考えてやはりこの辺が落とし所かなとも思いました。

Posted by 永井秀幸 at 2011年07月20日 11:50
 
すめろぎの跪けどもくにつちに穢れたる塵ゆめふりやまず

今回、最も惹かれた作品です。
坂本さんが、最初のコメントで見事に読み解かれていて
特に何も付け加えて発言することはないと思ったのですが、
西王さんの発言で坂本さんの読みが少しぶれてしまったみたいですね。
坂本さんが挙げた斉藤斎藤さんの作品とは全然違うと思います。
今回の人災とも言える原発事故、およびそれを招いた人間の
何でもわれわれがコントロールできるんだという愚かな思い上がりを嘆き、
批判した、もっと正統な歌ととらえるべきではないでしょうか。
 
Posted by 伊波虎英 at 2011年07月21日 00:46

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