スマートフォン専用ページを表示
短歌人ネット歌会場
短歌人会の公式なネット歌会会場です。
閲覧はどなたさまもできますが、出詠およびコメントは短歌人のメンバーのみに限定させて戴きます。
<<
第6回ネット歌会詠草/21
|
TOP
|
第6回ネット歌会詠草/19
>>
2011年07月01日
第6回ネット歌会詠草/20
すめろぎの跪けどもくにつちに穢れたる塵ゆめふりやまず
【関連する記事】
第6回短歌人ネット歌会作者名発表
第6回ネット歌会詠草提出者一覧
第6回ネット歌会詠草一覧
第6回ネット歌会詠草/1
第6回ネット歌会詠草/2
第6回ネット歌会詠草/3
第6回ネット歌会詠草/4
第6回ネット歌会詠草/5
第6回ネット歌会詠草/6
第6回ネット歌会詠草/7
第6回ネット歌会詠草/8
第6回ネット歌会詠草/9
第6回ネット歌会詠草/10
第6回ネット歌会詠草/11
第6回ネット歌会詠草/12
第6回ネット歌会詠草/13
第6回ネット歌会詠草/14
第6回ネット歌会詠草/15
第6回ネット歌会詠草/16
第6回ネット歌会詠草/17
posted by 短歌人会 at 00:10|
Comment(5)
|
TrackBack(0)
|
第6回歌会
|
|
この記事へのコメント
「公私のない詩形」と呼ばれる短歌におけるなかなかの正統派力作であり、意欲作だと思う。
天皇皇后両陛下が行幸啓遊ばされて被災地の避難所をご訪問され、被災者全員の前に跪いて励まされた国民周知のニュースを念頭に、それにもかかわらず、国土に放射性物質の「穢れた」塵が決して降りやむことはない──。
天皇の祈りでさえも、現代文明の科学技術がもたらしたこの未曽有の災禍に対しては無力なのだろうかと、作者は衷心から嘆いている。
現代の事象に、一種の古代アニミズム的な感覚と格調を持ち込んでいる表現上の冒険は買えると思う。
ただ、「ゆめ」という副詞は、「ゆめゆめ(努々)」の形で現在でも通用するけれども、こういう風に使っていいのかどうか、かすかな違和感がある。
否定語を伴うのは当然としても、強い禁止・命令のニュアンスが強いように私は思っているので、この用法でいいのかどうか、古典文法に詳しい方の解説をお願い申し上げたい。
Posted by 坂本野原 at 2011年07月10日 14:04
古典文法に詳しい者の簡潔な意見として言えば、この「ゆめ」の使い方には無理があります。「ゆめ」を使うならば、「ゆめふりつむな」というのが典型です。
しかし、あえて古典的用語を使いながら、デカダンスを伝えようとする皮肉かもしれません。戦前戦中の作なら不敬罪でありましょうから。
Posted by 西王 燦 at 2011年07月10日 19:37
扱われている内容が内容だけに、前評はいささかへっぴり腰で書きましたが、西王さんのおっしゃる通り、この歌が全体として非常にシニカルでデカダンな視線で詠われている可能性はあると思います。
・・・斉藤斎藤氏の最近の問題作を連想しました。
真心の「板の間」正座60分に129人が涙した !(「短歌人」7月号)
http://plaza.rakuten.co.jp/meganebiz/diary/201106280001/
Posted by 坂本野原 at 2011年07月11日 09:52
印象に残った歌でした。
「ゆめふりやまず」についてですが、手元にある福武古語辞典初版と旺文社古語辞典八版には@禁止表現を伴って、に続くAに(下に打ち消しの語を伴って)少しも。まったく。として「落窪の君とゆめ知らず」の例を引いています。どちらの辞典も同じこの一例しか引いてないのはやや弱い気はするのですが、この辞典を信じる限り「ゆめふりやまず」という言い方は充分有り得るのではないでしょうか。
天皇陛下がいかにひざまずいても放射性物質で汚れた塵が降りやまないのは理の当然で、その意味では不敬の程度は緩い気もします。言外に避難所の人たちや被災者は慰められた、力づけられたと言いたいのでしょうか。いろいろ考えてやはりこの辺が落とし所かなとも思いました。
Posted by 永井秀幸 at 2011年07月20日 11:50
すめろぎの跪けどもくにつちに穢れたる塵ゆめふりやまず
今回、最も惹かれた作品です。
坂本さんが、最初のコメントで見事に読み解かれていて
特に何も付け加えて発言することはないと思ったのですが、
西王さんの発言で坂本さんの読みが少しぶれてしまったみたいですね。
坂本さんが挙げた斉藤斎藤さんの作品とは全然違うと思います。
今回の人災とも言える原発事故、およびそれを招いた人間の
何でもわれわれがコントロールできるんだという愚かな思い上がりを嘆き、
批判した、もっと正統な歌ととらえるべきではないでしょうか。
Posted by 伊波虎英 at 2011年07月21日 00:46
この記事へのトラックバック
検索
<<
2024年03月
>>
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
最近のコメント
第52回ネット歌会詠草/5
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 大野奈美江 (02/27)
⇒ 亀尾美香 (02/25)
⇒ 寺阪誠記 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/4
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 寺阪誠記 (02/25)
⇒ 光本博 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/3
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 大野奈美江 (02/27)
⇒ 鎌田章子 (02/24)
第52回ネット歌会詠草/2
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 馬淵のり子 (02/23)
第52回ネット歌会詠草/1
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 加藤隆枝 (02/27)
⇒ 大野奈美江 (02/24)
⇒ 光本博 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/20
⇒ 清水 紀久子 (03/08)
⇒ 堀部明兎 (03/02)
第52回ネット歌会詠草/15
⇒ 寺阪誠記 (03/07)
⇒ 大野奈美江 (02/23)
⇒ 堀部明兎 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/19
⇒ 堀部明兎 (03/02)
⇒ 加藤隆枝 (02/27)
⇒ 馬淵のり子 (02/23)
第52回ネット歌会詠草/12
⇒ 堀部明兎 (03/02)
⇒ 花澤孝 (02/26)
⇒ 亀尾美香 (02/25)
⇒ 伊藤まり (02/25)
⇒ 光本博 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/8
⇒ 堀部明兎 (03/01)
⇒ 大野奈美江 (02/25)
⇒ 鎌田章子 (02/24)
最近の記事
(01/01)
短歌人ネット歌会のお知らせ
(03/19)
第52回短歌人ネット歌会作者名発表
(02/17)
第52回ネット歌会参加者一覧
(02/17)
第52回短歌人ネット歌会詠草一覧
カテゴリ
日記
(0)
歌会告知
(6)
第1回歌会
(40)
お知らせ
(4)
第2回歌会
(32)
第3回歌会
(40)
第4回歌会
(48)
第5回歌会
(32)
第6回歌会
(33)
第7回歌会
(38)
第8回歌会
(35)
第9回歌会
(43)
第10回歌会
(36)
第11回歌会
(31)
第12回歌会
(31)
第13回歌会
(34)
第14回歌会
(32)
第15回歌会
(32)
第16回歌会
(30)
第17回歌会
(33)
過去ログ
2025年01月
(1)
2024年03月
(1)
2024年02月
(23)
2023年09月
(1)
2023年08月
(18)
2023年07月
(1)
2023年03月
(1)
2023年02月
(27)
2023年01月
(1)
2022年09月
(1)
2022年08月
(22)
2022年07月
(1)
2022年03月
(1)
2022年02月
(28)
2022年01月
(1)
2021年12月
(1)
2021年11月
(27)
2021年09月
(1)
2021年08月
(24)
2021年07月
(1)
天皇皇后両陛下が行幸啓遊ばされて被災地の避難所をご訪問され、被災者全員の前に跪いて励まされた国民周知のニュースを念頭に、それにもかかわらず、国土に放射性物質の「穢れた」塵が決して降りやむことはない──。
天皇の祈りでさえも、現代文明の科学技術がもたらしたこの未曽有の災禍に対しては無力なのだろうかと、作者は衷心から嘆いている。
現代の事象に、一種の古代アニミズム的な感覚と格調を持ち込んでいる表現上の冒険は買えると思う。
ただ、「ゆめ」という副詞は、「ゆめゆめ(努々)」の形で現在でも通用するけれども、こういう風に使っていいのかどうか、かすかな違和感がある。
否定語を伴うのは当然としても、強い禁止・命令のニュアンスが強いように私は思っているので、この用法でいいのかどうか、古典文法に詳しい方の解説をお願い申し上げたい。
しかし、あえて古典的用語を使いながら、デカダンスを伝えようとする皮肉かもしれません。戦前戦中の作なら不敬罪でありましょうから。
・・・斉藤斎藤氏の最近の問題作を連想しました。
真心の「板の間」正座60分に129人が涙した !(「短歌人」7月号)
http://plaza.rakuten.co.jp/meganebiz/diary/201106280001/
「ゆめふりやまず」についてですが、手元にある福武古語辞典初版と旺文社古語辞典八版には@禁止表現を伴って、に続くAに(下に打ち消しの語を伴って)少しも。まったく。として「落窪の君とゆめ知らず」の例を引いています。どちらの辞典も同じこの一例しか引いてないのはやや弱い気はするのですが、この辞典を信じる限り「ゆめふりやまず」という言い方は充分有り得るのではないでしょうか。
天皇陛下がいかにひざまずいても放射性物質で汚れた塵が降りやまないのは理の当然で、その意味では不敬の程度は緩い気もします。言外に避難所の人たちや被災者は慰められた、力づけられたと言いたいのでしょうか。いろいろ考えてやはりこの辺が落とし所かなとも思いました。
すめろぎの跪けどもくにつちに穢れたる塵ゆめふりやまず
今回、最も惹かれた作品です。
坂本さんが、最初のコメントで見事に読み解かれていて
特に何も付け加えて発言することはないと思ったのですが、
西王さんの発言で坂本さんの読みが少しぶれてしまったみたいですね。
坂本さんが挙げた斉藤斎藤さんの作品とは全然違うと思います。
今回の人災とも言える原発事故、およびそれを招いた人間の
何でもわれわれがコントロールできるんだという愚かな思い上がりを嘆き、
批判した、もっと正統な歌ととらえるべきではないでしょうか。