2011年07月01日

第6回ネット歌会詠草/19

二週間予定を遅らせ着きし東京にペットボトルの水が足りない
posted by 短歌人会 at 00:11| Comment(3) | TrackBack(0) | 第6回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
詠草提出者の一覧をにらみながら考えた。
本誌の日頃の月例作品・特集作品などから見て、錚々たる面々であると認識する。

この一首は、もしかして

二週間遅れて着きし東京にペットボトルの水が足りない

の入力ミス(誤植?)ではないかと疑った。

そのぐらい、上の句の弛緩した破調には積極的な意味を見出せない。

ただ、下の句「ペットボトルの水が足りない」には、悲鳴にも近い感情が滲み出ていて、適切な推敲を前提とすれば、時事詠としてまずまずいいのではないかと思った。
Posted by 坂本野原 at 2011年07月15日 12:03
確かに、「遅れて」と「予定を遅らせ」では意味が異なることは事実だ。

前者は、遅れた理由を省略している。
後者は、「わざわざ二週間(も)予定を遅らせてまで慎重に様子を見た上で上京したが、それにもかかわらず(ああそれなのに)、まだ東京の物流は回復せず、ペットボトルの水が足りない」という慨嘆のニュアンスが強くなる。

これを割り切ることも必要かも知れない。

一方で、作者にとっては、「予定を遅らせ」たという点は、上に述べたような文脈で、表現上譲れない一線なのかもしれない。

そこを尊重するとすれば、「二週間待って訪ねし東京に」などの代替・妥協案もあると思う。
もっと上手い方法もあると思うが、とりあえず一・二の愚考まで。
Posted by 坂本野原 at 2011年07月15日 18:36
坂本さんと同じことを思いました。
原発問題で、東京の水道水が放射性物質が検出されたときは、
西日本でもスーパーやコンビニの棚から、ペットボトルの水が消えました。
「東京にペットボトルの水が足りない」という事実のみで、震災詠・時事詠として
じゅうぶん納得できますが、ここでは「二週間予定を遅らせ着いた」という
作者の事情というか報告を詠み込まれているに至っては、作者の眼目・作意が
別にあるのかと考えてしまい、悩ましいところです。坂本さんの
>「二週間待って訪ねし東京に」などの代替案
これですと、定型になりずいぶんすっきり伝わると思うのです。
「二週間」という時間に、なにか特別な意図があればこの限りではないのですが。
Posted by 三島麻亜子 at 2011年07月15日 20:18

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