この記事へのコメント
老女が居直り、敵意剥き出しとは「いったい何があったのか?」と
思わずにいられません。
「居直りの視線」というのは強さを感じるのは当然ですし、=「敵意」でもありますから、
「居直りの視線」「つよさ」「敵意」の言葉の重複が気になります。
たとえば「居直りの視線」または「敵意」だけにして、
具体的な状況を詠み込むと、読み手の共感を得やすいかと思います。
Posted by 三島麻亜子 at 2011年07月10日 17:35
老女はそこで初めて会った人なのか。
知り合いなのかしら。

「老女の敵意を受け止めている」はすっとはいってくるのですが、
「居直りの視線のつよさ」というのがむずかしかったです。

状況を推測できる具体的なカギが提示されていないので、読み手に任されるところが大きいですね
Posted by 楠田よはんな at 2011年07月17日 22:31
上記お二人のコメントのとおり、同義反復の中での微妙な心理のブレがうかがえる作品です。理屈から言えば

 居直りの敵意のつよさに抗えず老女の視線を受けとめている

かもしれません。抗えなかったら受けとめるのも難しいはず。


さて、キイ・ワードは「居直り」と「老女」ですね。

「老女」というのは、作者とは無関係な人物。「姑」などではない。
この場合の「居直り」とは、老女の側にあきらかな非や落ち度があるにもかかわらず、一転して攻撃的になることでしょう。

たとえば、老女の置き引きの現場を見つけた、とかいうのは解りやすいかもしれません。

いろいろ検索していましたら、「居直り」と「開き直り」の違いについて気づきました。
ひょっとしたら、この老女は「開き直って」いるのではないでしょうか。
Posted by 西王 燦 at 2011年07月18日 04:35
 「居直り」「視線」「つよさに抗えず」「老」「敵意を受けとめている」と、使われている言葉が視覚的に(はっきりとは)イメージできない語がほとんどです。
 ということは、作者が、こう感じました・こうおもいましたと解釈した言葉で、ほぼ埋め尽くされているわけで、もうすこし読者にイメージさせて欲しいとおもいます。
Posted by 山寺修象 at 2011年07月18日 06:29
皆さま開き直りの老女のうたにコメントいただきましてありがとうございました。キョーレツな体験を作品にしたかったのですが技術が足りなくわかり難かったかもしれません。その時の状況は西王さんの「居直りの敵意のつよさに抗えず老女の視線を受けとめている」がよりぴったりと来ます。しばらく足が遠のいていた会合に3月に数年ぶりに参加したところ、殆ど接点がないはずの老女が、会合で作品の批評が続く中ふと私が顔を上げると凄い形相で睨んでいた。目があっても逸らすことなく老女は睨み続けていた。という状況です。まるで通り魔にあったようなものですね。睨みの原因がわからないのでどうしたものかと暫く老女とみつめ合っていました。ただ睨み続けるということが失礼なこともこの老女は気づかないか、何をしても許されると勘違いしている様子。その場で済めば「この人は頭がおかしい」で終わらせられますが、翌四月にはこのバアサンからの幼稚な個人攻撃という第二弾が待ち構えていたのでした。
Posted by 佐々木ゆか at 2011年07月25日 21:56

この記事へのトラックバック