2011年07月01日

第6回ネット歌会詠草/13

<改正>市バス時刻表貼られをり昏睡五年の節子の病室(へや)に

*カッコ内はルビ
posted by 短歌人会 at 00:17| Comment(5) | TrackBack(0) | 第6回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
とと面白い歌。<改正>市バス時刻表と昏睡の節子の取り合わせが意表を突く。よくかんがえれば、見舞客のための時刻表とわかるが。死と生が隣合わせということをこんな形で表現できるとは・・・・
惜しいと思ったのは<改正>のカギカッコはいらないのでは・・・・

Posted by 青柳泉 at 2011年07月08日 23:43
 一首を読んだ感じでは、この歌はリアリティー系の作品だとおもわれます。<改正>の<>
は、実際の時刻表にそう表記してあったのではないでしょうか。
 この歌は、ある意味では対比の歌です。「<改正>市バス時刻表貼られをり」の部分は意外性があっていいです。一首だけで表現するには「昏睡5年の」の部分がすこし、直接の深刻過ぎの感じがします。ここの部分を除けば、今回の作品群で一番心ひかれる歌だとおもいました。
Posted by 山寺修象 at 2011年07月09日 08:48
≪改正≫時刻表は5年間貼られたままに色変わりしているのかもしれません。私は一読そう取り、胸を突かれましたので、青柳さんの解釈を読み、「なるほど」と救われた思いでした。バスの時刻表は何回も改正されたのに節子さんは眠り続けている・・・。見舞客のために張り替えてあってほしい。でも眠り続ける節子さんには≪改正≫は止まっていてほしい気がします。
Posted by さとうひろこ at 2011年07月09日 23:51
この作品も読み手の経験則によって印象が左右されると思います。

つまり、見舞の人のために<改正>時刻表が改正のたびに貼りなおされているか、それとも<改正>時刻表なのに五年間貼られたままか。

私は、さとうさんの最初の読み方

≪改正≫時刻表は5年間貼られたままに色変わりしている。

に賛同します。<改正>という文字が哀しい皮肉のようです。

昏睡状態が5年も続いて、なおかつ見舞いが絶えず、<改正>されたバスの時刻表を近親者が貼り替えているという場面を、今の日本で想像できるでしょうか。

私は「色の変った昔の(改正)時刻表を想像します。

なお、「節子」というのは作品として絶妙なのだが、この作品には直接的なモデルがあるのかしら。恥を忍んでお尋ねします。

原節子?
Posted by 西王 at 2011年07月10日 05:54

<改正>市バス時刻表貼られをり昏睡五年の節子の病室(へや)に

「<改正>市バス時刻表」の「<改正>」がこの歌の要で、
これで1首がリアリティーを獲得できています。
一方で「昏睡五年」には、せっかくの「<改正>」のリアリティーを
打ち消してしまっているようなリアリティーの過剰さを感じました。
同様に、「節子」という固有名詞にもその過剰さはちょっと感じます。

バスの時刻表がどれだけ頻繁に改正されるものなのか知りませんが、
この時刻表は五年間貼られたままの今は役に立たないものではなくて、
今もちゃんと使える時刻表というふうに僕は読みました。
そこに作中主体の希望のようなものを読み取りたかったのかもしれません。
Posted by 伊波虎英 at 2011年07月20日 11:50

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