この記事へのコメント
誰の言葉だったか、ちょっと失念して思い出せないが、「文学は必ずしも科学的認識に依る必要はない」という趣旨の言説が記憶に残っている。
確かにそれはそうだ。ダンテ「神曲(神聖喜劇、ディヴィーナ・コメディア)」ひとつでも例に挙げれば十分だろう。

地動説は実につまらぬ代物であり、コペルニクス的転回はまことにくだらぬ営為だったと、私も思うことがないでもない。

・・・とまで大上段に構えて言わずとも、これは幼き頃のささやかな心ゆかしき思い出をメルヒェン的に詠った一首で、完成された世界だと思う。
「天動説にうごきつつ」という言い回しの、微かな飛躍も心地よい。
私は、この歌を愛する娘に聞かせてやりたい。

しいていえば、四句目の「毎夜おはなしを」の、「毎夜」というやや散文的な言葉と、一字余り破調はなんとかならないかなと思うが、これは望みすぎってものだろうか?
Posted by 坂本野原 at 2011年07月09日 11:19
NHKの朝の連続ドラマ『おひさま』を観ましたら、「〜したわ」というナレーションがとても印象に残ります。日米戦争のころに女学生であった女の半生の物語のようです。
「〜したわ」と語るのは現代の老女役の若尾文子です。

たとえば、短歌人でいうならば、蒔田さくら子さんが「毎夜おはなしをして眠ったわ」というと、とても納得します。

つまり、この回想の時間はかなり永い、と思います。

「毎夜」は「夜毎」にしてもいいが、「夜毎」は、うっかりするとHな感じになります。「毎夜」の清潔な(口語的な)感触を
楽しみたいところです。
Posted by 西王 at 2011年07月09日 21:32
わたしも、結句の「眠ったわ」にひかれる一人です。
上の句の言いように男性的な雰囲気を感じつつ、結句に女学生の口ぶりを思いつつ。このニュアンスの変化が、面白い。
Posted by 弘井文子 at 2011年07月17日 09:26

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