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2011年07月01日
第6回ネット歌会詠草/4
うはばみに呑まれしわれら薄暗き山手線の腹に揺られて
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posted by 短歌人会 at 00:26|
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この記事へのコメント
「薄暗き山手線」というのは、いわゆる「節電要請」に応えたものでしょう。「今までとは違った雰囲気」が表れていて、「腹に揺られて」も絶妙です。
ただ、すこし気になるのは、「うはばみに呑まれしわれら」の、ことに「し」です。もとより「し」は回想の助詞。
たとえば「うはばみに呑まるるわれら」ならば、青森県から修学旅行で東京に来た。「地下鉄電車はまるで蛇みたいだった」ということになります。
しかし、「うはばみに呑まれしわれら」のうはばみは、大地震とか大津波とか原発事故のことでありましょう。
比喩(類似霊感)の使い方の難しさを感じる作品です。
Posted by 西王 at 2011年07月07日 05:56
「うはばみ」で、サンテグジュペリ『星の王子さま』の最初のところに出てくる、象を呑み込んだうわばみの絵と、大酒呑みのことをうわばみという、このふたつを思い浮かべました。
「薄暗き山手線の腹に揺られて」いる「われら」は、酔っ払っているものと考えます。
大酒呑み=うわばみであって、「うはばみに呑まれしわれら」というのでは、逆転しているではないか、と言われるかもしれませんが、酒に呑まれるということばもあります。
うわばみに呑まれてしまったら、その腹の中でじっと消化されるのを待つしかない。個人では今すぐにどうすることもできないような状況にありつつ、「山手線」に「揺られて」帰るというような日常はまだ残っている。結句「腹に揺られて」が、先行きの見えない無力な状態をうまく表していると思います。
Posted by 大室ゆらぎ at 2011年07月07日 13:16
「腹に揺られて」がひっかかります。
<山手線の揺れる車両のなかで>ということだと思いますが、「腹」って何を意図したいのだろう?電車の揺れから蠕動がイメージされにくいので、「腹」の比喩がぴんと来ません。
山手線を大蛇に喩えたのかと思いましたが、「大地震とか大津波とか原発事故」を念頭に鑑賞された西王さんの読みを支持したいです。
Posted by 村田馨 at 2011年07月07日 15:56
「うはばみ」は素直に山手線の一連の車両、と読みました。現在ですので大津波や大地震や原発事故の影が背後に漂いますが、何年かのちにはその読みはできなくなると思います。
「呑まれし」はやはりひっかかりますので、「呑まれた」にすればいかがかと思います。
「山手線の腹にゆられて」はたしかに舌足らずで、山手線の車両をうはばみの腹と譬えたければ、「山手線(の車両)に乗っていた」「薄暗いうはばみの腹の中で揺られているようだった」と、語順を変えて表現するのがいいかと思いますが。
大室さんの読みはとてもおもしろいと思いますが、やはり無理があって、むしろ「うはばみを呑んでしまつたわたしたち」くらいにすればその読みにたどりつけるのではないでしょうか。でもそうすると、「われら」は「うはばみの腹の中」にはいられなくなりますね。
Posted by 花鳥(かとり)もも at 2011年07月11日 22:59
僕は最初から大室さんのように読んでいました。大室さんの言われるように大酒のみ=うはばみですが、この歌のうはばみは大酒の喩と取りました。ただし大室さんが最後に書かれているようには重く取らず軽いユーモアを含んだ歌として面白いと思いました。
Posted by 永井秀幸 at 2011年07月12日 17:01
われら=よっぱらい説にかなり傾いてきました。そのほうが
おもしろいですものね。
が、「うはばみ」の背後にはやはり山手線の長い列車の影が
走っていると思います。
「腹に揺られて」は滑らかとはいえ多少の揺れはある
山手線の車中にいます、という普通の読みで
いいのではないかと思います。
Posted by 花鳥もも at 2011年07月12日 23:54
上記、「が、『うはばみ』の背後には―」以下、花鳥ももさんの読みとまったく同じです。
Posted by 永井秀幸 at 2011年07月13日 16:49
私が、あまりにも経験的読みを提示してしまったかもしれないと心配していたのですが、さまざまな読み方が登場して安心しました。
たとえば大阪でも駅構内のエスカレーターが止まって、(節電要請で止めて)婆さんたちが歩いて登っている。原因である東電の管内の地下鉄は、たぶん冷房も弱いだろう、というのが私の経験知でした。
うわばみ=地下鉄=いつもより暑く薄暗いに呑まれて揺れている状態=あたかも奇妙な腹の中にいるようだ
という読み方は、なんの異論もないように思っていたのですが、、、。
やはり、短歌の読みは、読み手の経験則によるのだと、つくづく思います。
Posted by 西王 燦 at 2011年07月14日 17:43
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しかし、「うはばみに呑まれしわれら」のうはばみは、大地震とか大津波とか原発事故のことでありましょう。
比喩(類似霊感)の使い方の難しさを感じる作品です。
「薄暗き山手線の腹に揺られて」いる「われら」は、酔っ払っているものと考えます。
大酒呑み=うわばみであって、「うはばみに呑まれしわれら」というのでは、逆転しているではないか、と言われるかもしれませんが、酒に呑まれるということばもあります。
うわばみに呑まれてしまったら、その腹の中でじっと消化されるのを待つしかない。個人では今すぐにどうすることもできないような状況にありつつ、「山手線」に「揺られて」帰るというような日常はまだ残っている。結句「腹に揺られて」が、先行きの見えない無力な状態をうまく表していると思います。
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「呑まれし」はやはりひっかかりますので、「呑まれた」にすればいかがかと思います。
「山手線の腹にゆられて」はたしかに舌足らずで、山手線の車両をうはばみの腹と譬えたければ、「山手線(の車両)に乗っていた」「薄暗いうはばみの腹の中で揺られているようだった」と、語順を変えて表現するのがいいかと思いますが。
大室さんの読みはとてもおもしろいと思いますが、やはり無理があって、むしろ「うはばみを呑んでしまつたわたしたち」くらいにすればその読みにたどりつけるのではないでしょうか。でもそうすると、「われら」は「うはばみの腹の中」にはいられなくなりますね。
おもしろいですものね。
が、「うはばみ」の背後にはやはり山手線の長い列車の影が
走っていると思います。
「腹に揺られて」は滑らかとはいえ多少の揺れはある
山手線の車中にいます、という普通の読みで
いいのではないかと思います。
たとえば大阪でも駅構内のエスカレーターが止まって、(節電要請で止めて)婆さんたちが歩いて登っている。原因である東電の管内の地下鉄は、たぶん冷房も弱いだろう、というのが私の経験知でした。
うわばみ=地下鉄=いつもより暑く薄暗いに呑まれて揺れている状態=あたかも奇妙な腹の中にいるようだ
という読み方は、なんの異論もないように思っていたのですが、、、。
やはり、短歌の読みは、読み手の経験則によるのだと、つくづく思います。