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第7回ネット歌会詠草/33
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2011年09月01日
第7回ネット歌会詠草/34
撫でし子の姪はバンドをやつてゐるおごりの夏の紫薇(さるすべり)かな
*カッコ内はルビ
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この記事へのコメント
「おごりの夏の…かな」と来ると、当然、与謝野晶子『みだれ髪』
「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」を思い浮かべます。
「姪」というのは、若い自信に満ちた(あるいは、そう見える)お嬢さんなのでしょう。
普通の「なでしこ」または「撫子」ではなく、「撫でし子」と表記しているということは、「子供の頃から撫でて可愛がった子」というような意味を強調しているものかと思われます。「やまとなでしこ」という言葉は昔からよく使われますが、最近話題になっている女子サッカーの「なでしこジャパン」というのが、ここで関係しているのかどうかは分かりません。
また、通常の「さるすべり」「百日紅」ではなく、「紫薇(さるすべり)」と表記していることにも、きっと何か意味があるのでしょう。
「撫でし子」「バンドをやつてゐる」「おごりの夏の」「紫薇」と、これはすべて「姪」の形容かと思われますが、その形容が盛り沢山なため、読者としては、どこに焦点を合わせて読むべきなのか困惑します。これは、「姪」のイメージとして、「なでしこ」なのか、「さるすべり」の花なのか、一体どちらなのかということにも関わると思います。また、文芸では、「なでしこ」は秋の花で、「さるすべり」は夏の花かと思うのですが。
上句は「姪」、下句は「さるすべり」を詠っているのだと取れないこともありませんが、与謝野晶子の歌がある以上、下句も「姪」に掛かってくるものと読むことになるのではないでしょうか。
Posted by 大室ゆらぎ at 2011年09月08日 15:07
撫でし子の姪はバンドをやつてゐるおごりの夏の紫薇(さるすべり)かな
大室さんが書かれているように、「撫でし子」と「紫薇(さるすべり)」が
めだつ一首ですね。
幼いころからかわいがってきた姪ごさんがバンドをやっていらして、「おごりの
夏の」とあるところから、晶子の歌を連想させて、その姪ごさんが今夏二十歳に
なられて、さるすべりの花のように派手やかにうつくしいことよ、というふうに
読むのでしょうか。
ただ「撫でし子」と書くとちょっとギャグのようにも見えて、「なでしこ」には
もともと「愛撫する子」という意味があって古くからよく使われているということ
ですので、ここは「なでしこ」でいいのではないでしょうか。
また、「紫薇」はただしくは「紫薇花」と書いて「さるすべり」と読むようです
(いずれも広辞苑から)。
問題は前記にもあるように「なでしこ」と「さるすべり」のふたつの花を使っている
ところですね。一首の中に二種類の花を置くのは問題ですし、そのふたつの季が
違っては、さらに問題です。「なでしこ」が「かわいがってきた」の意味なら、
べつのことばで表してはいかがでしょうか。
「バンドをしているわが姪が今夏二十歳になってあの晶子が詠ったようにまさに
さるすべりの真紅の花のようにうつくしいことよ」という内容でしたら、これでも
一首にするには大変と思いますが、ほほえましく伝わると思いますが。
Posted by 花鳥 佰(かとりもも) at 2011年09月15日 21:38
撫でし子の姪はバンドをやつてゐるおごりの夏の紫薇(さるすべり)かな
「なでしこジャパン」という女子サッカーの愛称が作者の念頭にもあったのでしょう。
女子サッカー効果というべきか、読み手側も上句から、バンド活動をしている姪っ子さんの
生き生きはつらつとした若さをくっきりとイメージすることができます。
「撫でし子」「紫薇」と1首に花名が2つ出て来るのは、
直接その花を詠っていないとは言えやはり気になります。
あえて作者がこういうふうに詠んだと考えるとするならば、
「撫でし子」と「紫薇」とは対比的なものととらえるべきかと思います。
たしかに下句から与謝野晶子の歌を連想しますが、ニュアンス的には少し異なっていて、
「紫薇(さるすべり)」というその語感から、あっという間に若い日は去るもので
好きなことを思いどおりに目いっぱいやれるような場所からはやがては滑り落ちてゆく
ものだという作者の冷やかな視線を僕は強く感じましたし、そう読むべきではないかと。
それで僕には、この1首が狂歌じみた安っぽいものに思えました。
下句は、花鳥さんの仰るように
「(姪は)さるすべりの真紅の花のようにうつくしいことよ」という意味で、
作者の冷やかな視線というのは僕の誤読かもしれませんが、
狂歌じみた安っぽいもの……というこの作品への僕の印象は、
上句の口語による詠いぶりから下句の文語調への転調からも感じたことです。
下句の部分が作者の一番言いたかったことだったはずですが、
僕としては「紫薇」を残すよりも「撫でし子」を残して、
つまり上句はこのまま生かして下句を推敲してみてほしいなと思いました。
Posted by 伊波虎英 at 2011年09月22日 00:23
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また、通常の「さるすべり」「百日紅」ではなく、「紫薇(さるすべり)」と表記していることにも、きっと何か意味があるのでしょう。
「撫でし子」「バンドをやつてゐる」「おごりの夏の」「紫薇」と、これはすべて「姪」の形容かと思われますが、その形容が盛り沢山なため、読者としては、どこに焦点を合わせて読むべきなのか困惑します。これは、「姪」のイメージとして、「なでしこ」なのか、「さるすべり」の花なのか、一体どちらなのかということにも関わると思います。また、文芸では、「なでしこ」は秋の花で、「さるすべり」は夏の花かと思うのですが。
上句は「姪」、下句は「さるすべり」を詠っているのだと取れないこともありませんが、与謝野晶子の歌がある以上、下句も「姪」に掛かってくるものと読むことになるのではないでしょうか。
大室さんが書かれているように、「撫でし子」と「紫薇(さるすべり)」が
めだつ一首ですね。
幼いころからかわいがってきた姪ごさんがバンドをやっていらして、「おごりの
夏の」とあるところから、晶子の歌を連想させて、その姪ごさんが今夏二十歳に
なられて、さるすべりの花のように派手やかにうつくしいことよ、というふうに
読むのでしょうか。
ただ「撫でし子」と書くとちょっとギャグのようにも見えて、「なでしこ」には
もともと「愛撫する子」という意味があって古くからよく使われているということ
ですので、ここは「なでしこ」でいいのではないでしょうか。
また、「紫薇」はただしくは「紫薇花」と書いて「さるすべり」と読むようです
(いずれも広辞苑から)。
問題は前記にもあるように「なでしこ」と「さるすべり」のふたつの花を使っている
ところですね。一首の中に二種類の花を置くのは問題ですし、そのふたつの季が
違っては、さらに問題です。「なでしこ」が「かわいがってきた」の意味なら、
べつのことばで表してはいかがでしょうか。
「バンドをしているわが姪が今夏二十歳になってあの晶子が詠ったようにまさに
さるすべりの真紅の花のようにうつくしいことよ」という内容でしたら、これでも
一首にするには大変と思いますが、ほほえましく伝わると思いますが。
「なでしこジャパン」という女子サッカーの愛称が作者の念頭にもあったのでしょう。
女子サッカー効果というべきか、読み手側も上句から、バンド活動をしている姪っ子さんの
生き生きはつらつとした若さをくっきりとイメージすることができます。
「撫でし子」「紫薇」と1首に花名が2つ出て来るのは、
直接その花を詠っていないとは言えやはり気になります。
あえて作者がこういうふうに詠んだと考えるとするならば、
「撫でし子」と「紫薇」とは対比的なものととらえるべきかと思います。
たしかに下句から与謝野晶子の歌を連想しますが、ニュアンス的には少し異なっていて、
「紫薇(さるすべり)」というその語感から、あっという間に若い日は去るもので
好きなことを思いどおりに目いっぱいやれるような場所からはやがては滑り落ちてゆく
ものだという作者の冷やかな視線を僕は強く感じましたし、そう読むべきではないかと。
それで僕には、この1首が狂歌じみた安っぽいものに思えました。
下句は、花鳥さんの仰るように
「(姪は)さるすべりの真紅の花のようにうつくしいことよ」という意味で、
作者の冷やかな視線というのは僕の誤読かもしれませんが、
狂歌じみた安っぽいもの……というこの作品への僕の印象は、
上句の口語による詠いぶりから下句の文語調への転調からも感じたことです。
下句の部分が作者の一番言いたかったことだったはずですが、
僕としては「紫薇」を残すよりも「撫でし子」を残して、
つまり上句はこのまま生かして下句を推敲してみてほしいなと思いました。