2011年09月01日

第7回ネット歌会詠草/33

二種類のスイカを切れば子供らはすぐに黄色いほうを取りあう
posted by 短歌人会 at 00:02| Comment(5) | TrackBack(0) | 第7回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いまどき夢のようなにぎやかな家族の様子を詠んだ歌で、ほほえましく読みました。
二種類も西瓜を買うことが、いまはまずないと思います。六分の一を買うのさえ、躊躇う人が多く、サイコロ状にカットして売ってます。
食べざかりの子供のいる家庭の勢いのようなものを感じました。かつてそういう時代もあったという郷愁と共に。
Posted by 近藤かすみ at 2011年09月05日 18:45
近藤さんはかつての家族のありようへの郷愁を感じたとのことですが、僕は今日の場面、例えば夏休みのキャンプなどだろうかと思いました。(余談めきますが僕が子どもだった頃は、家でも西瓜をまるごと買ってきて井戸で冷やしたりしたものですが、その頃黄色の西瓜を食べた記憶はありません。)

この歌はただただ子供らのさまを“ほほえましい”と感じて読めばよいのか、あるいは、作者はこの子供らに託して、“見てくれが珍しいものに飛びつくおろかさ”みたいなことを言いたいのか、そこのところがどうもうまく読めませんでした。
Posted by 斎藤 寛 at 2011年09月10日 06:53
この歌を読み、スイカはご自分で栽培されておられるのだろうと思いました。
夏休みに帰郷したお孫さんに、自慢のスイカを切っている「田舎のおじいさん(おばあさん)」の姿が浮かんできます。黄色いスイカは、今ではスーパーなどの店頭でも見かけるようになりましたが、それでも子どもは、新しいもの、珍しいものに強く興味を持ちます。よって、赤よりも黄色を取り合うことになったのでしょう。
或いは、まだ黄色いスイカが珍しかった頃の想い出を詠まれた、近藤さんがご指摘の「郷愁」の歌かも知れません。
いずれにせよ、微笑ましい一首と読ませていただきました。
Posted by 村上 喬 at 2011年09月10日 11:40
二種類のスイカを切れば子供らはすぐに黄色いほうを取りあう

歌会に出てくるとつい採ってしまいそうな魅力的な一首なのですが、
斎藤さんが書かれているように、意味を、となるとどう考えるか迷う
うたですね。

場所としては、やはり現代、夏休みの林間学校、または学校から帰ってくる
子供たちを預かる施設のような、「家族」というより「子供たち」が20人以上も
集まっているような場所かな、と想像しました。「二種類」とあるので、
「二個」ではなくてもっとたくさんの西瓜を切るのかとも。

なぜ黄色いほうを取りあうのか、これはわたしにはわかりません。
黄色の方が赤より明るいから? 甘そうに見えるから? タネがないから?
珍しいから?――黄色いスイカって、いまやあまり珍しくもないような気も
しますが。

というわけで、魅力的ではあるけれど意味はよくわからない一首でした。

Posted by 花鳥 佰(かとりもも) at 2011年09月15日 21:55
二種類のスイカを切れば子供らはすぐに黄色いほうを取りあう

私は単純なのであまり深読みをしません。
子どもたちが見慣れている赤い色のスイカではなく、もの珍しい黄色の方に飛びついてくる。
つまり、書いているままの光景を想像しました。
ほほえましい、単純だなあ、ふだん大人びていても所詮は子どもか、…などなどいろいろな感想はあるでしょう。子どもの数も数名から二十数名まで、つまり一家族から何かの団体までいろいろ考えられますが、一通りに決め打ちしなくても、読者に任されたと思って楽しんで読めばいいのではないでしょうか。
Posted by 村田馨 at 2011年09月18日 18:00

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