この記事へのコメント
惨劇って確かに「たやすく」はないですよね。非日常的です。ちょうどムカデがひっくり返るみたいに。でも,私たちもいつ日常性がひっくり返って<惨劇>になるか分からない。そんな怖さをこの歌から感じ取れます。ムカデが腹を見せている姿は<惨劇>の映像として効果的です。
Posted by 田宮ちづ子 at 2011年09月05日 18:52
惨劇といふはたやすきことならず赤き腹みせ百足死ぬとき

「惨劇」とは、広辞苑で引くと「むごたらしい筋の劇」「転じて、目を
そむけたくなるような、むごたらしい出来事」たとえば「一家心中の惨劇」と
あります。

つまり、この「惨劇」は「筋」を備えている「むごたらしい出来事」です。
そして、その「惨劇」は「たやすいことではない」のです。
誰にとって「たやすいことではない」のか? ここに影が差します。
というわけで、わたしはこの惨劇に作者の姿をプラスしてみました。
つまり、この惨劇を引き起こした張本人は作者であると。
つまり、作者が百足をぶっ叩くなりふんづけるなりして、むごたらしく
殺したのだと。

百足を殺すのはなかなか大変なことです。相手はかなり硬い皮膚を持っている上に、
刺されれば大変なことになります。「むごたらしい真似もしなければならない」
「たやすくはない」仕事であり、大立ち回りを演じるという筋のある、そして
最後には百足がひっくり返って死ぬ、という惨劇。

「赤き腹見せて百足死ぬとき」に、私は「惨劇」を演じたが、そもそも
「惨劇」というのは「たやすきことならぬ」ものであり、まさにそうでした、
という歌、と読みました。
上で「惨劇」についての感慨を述べ、下で具体例を挙げている、
おもしろいうただと思います。
Posted by 花鳥 佰(かとりもも) at 2011年09月15日 22:22
上の句で一般論のようなことを言い、下の句で具体を示しているという付け合せ方がうまく決まっていると思います。
花鳥さんは、作者が百足をやっつけたシーンと読まれていますが、僕はただただ百足の最期を詠まれている下の句と受け取りました。
百足というのは、人間にとって攻撃的な存在、ちょっとこわい存在だと思います。そういうものも死を迎えることがある、それはまさに「惨劇」ではないか、という感慨を言われているのだろうか、と思いました。
妄想を広げれば、「百足、自害す」というようなストーリーも想像されます。
かと言って百獣の王のライオンの最期などと言ったら芝居がかってしまうと思うので、「百足」という選択は良かったのではないでしょうか。
百足の腹の「赤」というのは僕は見たことがないのですが、この「赤」が生々しくて効いている、と思いました。
題詠の「色」を重要なポイントで上手く使っておられる歌と思います。
Posted by 斎藤 寛 at 2011年09月16日 20:34
コメントありがとうございました。

作者の意としては、ほぼ100%花鳥佰さんが書いてくださったとおりです。
殺虫剤の圧力で百足を押しとどめつつ、溺死させたあと、周囲をみると
殺虫剤の海が、血の海に見えて、本当に惨劇でした。
茶色の翅の御方は時々ご臨終いただきますが、
これほど意志を持って徹底的に、何かを殺す
という行為をしたことがありませんでした。
本当にひたすらに「やってしまった」
という意識からしばらくまぬがれえませんでした。
多分これからの人生の中で人は殺さないはずと思いますが、
その気持ちがすこしわかったような気がしました。

田宮さんの書いてくださった「ひっくり返る」の効用、
作者は最初気づいていませんでした。ありがとうございます(^−^)。

斎藤さんの書いてくださった「百足、自害す」
は、ちょっと想像を絶して…(笑)。

ありがとうございました。
Posted by 勺 禰子(しゃく・ねこ) at 2011年09月25日 15:43

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