2011年09月01日

第7回ネット歌会詠草/29

白秋の享年五十八歳を故なく思ふ「どぜう」食ひつつ 
posted by 短歌人会 at 00:06| Comment(5) | TrackBack(0) | 第7回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
北原白秋は幼少年期を福岡県柳川市沖端で過ごした。この地は、昔から泥鰌料理の「柳川鍋」で知られる。土鍋にさかがきごぼうを敷き、泥鰌を入れ、とき玉子をかけて弱火で煮た素朴な料理である。今回誕生した野田新首相が挨拶で「どじょう」を引き合いに出したことで、「柳川鍋」までが脚光を浴びた。野田新首相は現在54歳、白秋の享年は58歳 この状況にも作者は感慨を覚えたのだろう。時事詠の一首。
Posted by 秋田興一郎 at 2011年09月05日 09:28
 「いろ」で人名について歌にした点は脱帽です。
 上句は「白秋を思ふ」ではなく五十八歳という年齢を思ふ、とした点はいいとおもいます。
 白秋は柳川鍋で有名な柳川出身なので白秋とどぜうはつきすぎではないでしょうか。それに「故なく」は本来いらないのでは。
  
Posted by 山寺修象 at 2011年09月05日 09:38
枯れた味のある、しみじみと自然体の(ナチュラルな)いい歌だなあと思います。

作者は、白秋に思い入れがあるのでしょうか。私はあります。短歌に接しはじめた十代の頃、塚本邦雄と白秋の「桐の花」豪華本がありました。小遣いのすべてを投入して無理して買い、熟読玩味しました。
非常に難解でしたが、そこには確かに何者か重要なものがありました。

新古今調の「新幽玄体」を目指す高い志で、見事な短歌作品群を生み出しましたが、折から勃興してきた左翼的なプロレタリアート文芸陣営から「プチブル(ジョワ)的」と激しく攻撃を受け、当時は「男の甲斐性」として普通だった愛人問題なども恰好のスキャンダル視され、偉大な業績を残しつつも、最後は失意のうちに憤死したと、私は総括・理解しています。

太く短い生涯でした。
・・・といっても、それは今から見た感想で、当時としては普通の寿命だったでしょうか。

ちなみに、「どじょう」の語源は「泥つ魚」とされ、歴史的仮名遣いは「どぢやう」とされています(国語学者・大槻文彦氏が著書「大言海」の序文と本文で力説し、現在定説)。

「どぜう」は江戸期の誤用で、現在も残る江戸下町のドジョウ料理の名店「駒方どぜう」が有名になったために定着したといわれています。これはいわば、固有名詞の範疇というべきでしょう。
従って、このカギカッコ入れ表記は適切であると思われます。
Posted by 坂本野原 at 2011年09月10日 11:18
「どじょう」の歴史的仮名遣いについて、若干不正確なところがありましたので、訂正します。

「言海」(および手許の「広辞苑」、「新明解国語辞典」)が「どぢやう」となっており、「大言海」が「どぢよう」を採っております。

もちろん、前項の論旨に異同はありません。

また、「駒方どぜう」は「駒形どぜう」の誤りでした。
Posted by 坂本野原 at 2011年09月12日 09:37
一読して、粋な歌だなあと思いました。確かに前評者のおっしゃるように「故なく」はいらないかもしれない。無ければ歌が引き締まります。無いほうがいい、という意見もとてもよく分かるのですが、この場合この「故なく」が主体のポウズを表しているようで、いいな、とも思うのです。戦後、折口信夫は女歌を論じるに際して女歌特有の「ポウズ」の魅力を取り上げていますが、男の歌にだってポウズはありますね。。
 この「故なく思う」に、ちょっと屈折した都会的な中年男の<ポウズ>が感じられて、なかなか素敵です。
Posted by 田宮ちづ子 at 2011年09月15日 06:40

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