この記事へのコメント
面白いところを突いていますね。「黄色い線の内側でお待ち下さい」とアナウンスが流れれても、何も見えないままその場にいる人々は、暗黙の共通認識として、黄色い線の内側のはずのところで、待つんですよね。(人も含め)が効いていると思います。
Posted by さとう ひろこ at 2011年09月06日 14:39
僕も着眼点がおもしろい歌、と思いました。
「黄色い線」はかつての「白線」を引き継いでそう言っているのでしょうが、現在の「黄色い線」は点字ブロックが埋め込まれているのでどう考えても「線」ではない。それを「線」というアナウンスですませている安易さ。これは「線」ではないだろうと思う者、色覚障害があって「黄色」を認知できぬ者、そして目が不自由で「黄色」も「線」も見えぬ者、三番目に関してはかつてのJR高田馬場駅での事故を思い出してしまいますが、そうした具体をとばして「黄色い線の・・・」というアナウンスですませている鉄道事業者への批評が込められた一首だろう、と思いました。
Posted by 斎藤 寛 at 2011年09月06日 20:34
上記コメントを記した後で気づいたのですが、・・・内側で」で待つ は、「で」がダブるので、・・・内側で」待つ とした方がいいと思います。
Posted by 斎藤 寛 at 2011年09月06日 21:42
普段何気なく見過ごしている「当たり前」も拘りを持って見つめ直すとおもしろい発見があるものです。前評者に同意いたしますが、加えて「黄色にも線にも見えない人も含め」とは、あの視覚障害者誘導用ブロックの並びを「黄色い線」と呼称することをも揶揄しているのではないかと思います。
もっとも、あの白線の内側にある点字ブロックの並びを「線」と表現するのは便宜上やむを得ないことでしょう。また、色覚や視覚の障害の程度によっては、色も見えない方もおられるでしょうが、一般的に目立たせるために黄色が選ばれていることも理解ができます。そしてそのアナウンスも含めて、さとうさんのおっしゃる「暗黙の共通認識」に疑問の光を当てた軽妙な一首です。
斎藤さんの(「黄色い線の内側で」で待つ)についてのご指摘には共感しつつも、「黄色い線の内側で」というアナウンスを合図に「待つ」という読みもあるかなとも考えております。
Posted by 村上 喬 at 2011年09月10日 13:04
村上さんのコメントの最後のくだり、「で」の重なりから意味を読み取ることはできると思うのですが、そこでいったん立ち止まって、この「で」の重なりは何だ? と理屈を考えることが必要になるので、その分、モードが歌から散文へ傾くように思います。やはり僕はこの「で」の重なりは消していいのではないかと思います。
Posted by 斎藤 寛 at 2011年09月10日 15:20
私も、「黄色い線」なんてホームにないでしょう、と心の中でつぶやいていた人間です。
「黄色にも線にも」と「に」があるので、「見えない人」とは作者をさすのだろうと考えました。

ただ現在、JR西日本の環状線では「線」と言わず、正確な表現(ブロックorタイルのどちらかです)を使用しています。
ですが、ラッシュ時には、白線(点字ブロックより外側にある)の内側ならいいよね、という勢いで歩く人が多くいます。
Posted by 芝 典子 at 2011年09月10日 22:57
>黄色にも線にも見えない人も含め「黄色い線の内側で」で待つ

電車が通過するとき、巻き込まれて危険な目に遭わないように線の内側で待つわけですが、安全と危険の境界線を、「黄色い線」と言い表して、それを認識できない人にも伝えています。
それで意味が通じるという「言葉の働き」を捉えた歌と読みました。

「で」については、私も要らないと思います。

余談ですが、この歌を一読して、下記の中澤系の歌を思い出しました。

  3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって    中澤系

Posted by 近藤かすみ at 2011年09月11日 00:01
近藤さんが書かれている中澤系さんの「3番線・・・」は僕も想起したのですが、中澤さんの歌は一首の中で意味がねじれているようなヘンな歌だと思うのですが、この歌は言語の不備を突きながらも一首の中で意味のねじれは生じていないように思うので、似たような場面を詠んだ歌としては、先行作品のあのヘンさ加減には及んでいない・・・、というような感もありました。
Posted by 斎藤 寛 at 2011年09月12日 00:24
もう私は口を噤もうと思っていたのですが、この歌だけはどうしても気になってしまうので、一言申し述べます。

現代短歌の文脈を持つ、なかなか尖鋭な作品ではないかと思います。
「短歌研究9月号」あたりに載っていたとしても、全く違和感がありません。
私は、かなりの力量を備えた作者ではないかと見ています。

省略され引用された「黄色い線の内側で」の全文は、おおよそ
「大変危険ですから(どなたさまも)黄色い線の内側でお待ち下さい」
などでしょうが、作中主体はこれに「異議申し立て」をしています。

「『黄色にも線にも見えない人』はどうするんだ?』と言っているわけです。

さらに言うと、現代短歌としての解釈は、もう一文付け加わるのかも知れません。

「『・・・なんて異議申し立てはバカげているし、無理だよな。・・・ふふっ』と独り自嘲している作中主体を演じている自意識過剰な私」あたりの、入れ子細工的なメタ言語の存在が想定されます。

なお、「で』で」については、上記引用の過程で「てにをは」に迷い、考えあぐねた挙句、これでいいと判断されたのでしょう。実作者としてはよくあることであり、十分理解できます。

しかし、その判断は私の判断では失敗だったと思います。
「で』で」を見た時、言葉は悪いですが、アタマの中にジンマシンができるようなアレルギー反応がありました。

ただ、もしもそれが作者の狙い通りであるとするならば、それはそれで「技あり」かなとも思う次第です。

・・・単なる誤植だったなんていわれたら怒るけどね^^;
Posted by 坂本野原 at 2011年09月13日 10:27
黄色にも線にも見えない人も含め「黄色い線の内側で」で待つ

正直に書けば、一読戸惑った歌です。
というのは、「黄色にも」「線にも」の「に」の正確な意味についてです。
「黄色に見えない」というのは、何かほかの色に見えるということであり、
「線に見えない」というのは、線ではない何かほかのものに見えるということです。
これは、「見えない」ということではないと思います。

ということを踏まえて、再読すると、「黄色にも線にも見えない人」というのは
作中主体「または、作中主体と同様な感じ方をしている人です。
日ごろ何気なく聞いている駅のアナウンス「黄色い線の内側でお待ちください」は、
ホントウハ「黄色い線」など無いのではないか・・・なんかもっと別のものに感じるんだけど・・・
でも・・・アナウンスが流れれば、群集として疑わずにソレを「黄色い線」として、
おとなしく待つのだ、我々は・・・

という歌なのだと、そう読んだところで、ようやく
この歌の面白さが、私には感じられました。
Posted by 梶崎恭子 at 2011年09月14日 15:56
僕もやはり、中澤系さんからの影響を感じました。
「人も含め」の「人」という言い回しは、中澤さんの歌のそれとよく似ているように思えます。
芝さんや梶崎さんと同じく「黄色にも線にも見えない人」というのは、なによりもまず作中主体のことだと読みました。
老朽化などでいわゆる「黄色い線」が変色して見えたり、はがれていて線ではなくなっているような状況を想像しました。
作者の方は考えがあって「で」を重ねているのだと思いますが、やはり重ねない方がすんなり読めるような気がします。
面白い歌だと思うのですが、どうしても中澤さんの歌を思い出してしまうところが惜しいと思いました。
Posted by 木嶋章夫 at 2011年09月20日 22:06
この歌を作りました、砺波です。
皆さんご意見ありがとうございます。

駅のアナウンスに対して、点字ブロックは線に見えないけどなぁ、という気持ちと
黄色いはずの点字ブロックが日にやけて白っぽくなってしまっているのを見たことがあり、
黄色にも線にも見えないのは「主人公」のつもりですが、並んでいる他の人も実は疑問に思っているかな、と考えて書きました。

中澤系さんの短歌はワタシも好きです。
「三番線…」とこの歌とは(言い訳みたいですが)実は「人」しかかぶっていないのですが、ホームのアナウンスというとあの歌、というカンジで思い出すんですね。
短歌は短いうえに、良い歌だとポイントとなったものが印象に残りやすいので(何とか記念日、というと俵さんのお歌のイメージが重なってしまったりとか)短歌のモチーフって難しいなと思います。
Posted by 砺波 湊 at 2011年09月21日 16:03
黄色にも線にも見えない人も含め「黄色い線の内側で」で待つ

屁理屈をいうなら、「黄色い線」を必要とする視覚障碍の方々にとって「黄色」であるかどうか、「線」であるかどうかは情報として必要ないです。
駅では「点字ブロックの内側でお待ちください」とアナウンスすれば済むこと。なんで「黄色い線」なんていうんでしょうかねえ。想像ですが、「黄色い線」の前に描かれていた「白線」の内側に沿って敷設されていたから「黄色い線」と呼ばれることになったのかと思います。
中澤さんの代表歌は誰しも思うのでしょう。私もそうでした。ですが、砺波さんのご指摘を読んでなるほどと思いました。短歌の印象ってそんなものなのでしょうね。
Posted by 村田馨 at 2011年09月23日 18:36

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