この記事へのコメント
玉蜀黍の新鮮で美味しそうな様子が目に浮かびます。初句の「黄金の露」が、玉蜀黍の粒でもあり、それを育てた自然の雨露であり、生き生きとしています。
収穫は日和のおかげ、という感謝の気持ちが読みとれます。
Posted by 近藤かすみ at 2011年09月06日 20:42
近藤さんの上記解釈を参考にして味わおうとしてみましたが僕には上の句がもうひとつすっと入ってこなくて残念でした。意味としては近藤さんのように取れるとも思えるのですがー。
Posted by 永井秀幸 at 2011年09月16日 17:35
「あずけて」の用法がよく分かりません。ふつう、「あずける」という動詞は、「A(主語)がBをCにあずける」という形を取ると思います。
この歌の場合、「黄金の露」がBに当たるのでしょう。とすると、Cに当たるのは何なのでしょうか? 下句の主語は作中主体、と読みましたが、「あずけて」の主語は何になるのでしょう? 無論、場合によっては、これらが省略されていても構わないと思うのですが、今の形では、意味を取ることが出来ないように思われます。
Posted by 大室ゆらぎ at 2011年09月16日 18:53
「黄金の露」が近藤さんの言われるように「玉蜀黍の粒」であるとすると玉蜀黍全体が玉蜀黍の殻(粒の付いている胴体部分)に粒をあずけているということになるのだと思います。上の句と下の句の主語が違うとみて、意味としては近藤さんのように取れるとも思える、と書いたのでした。
しかし、そのへんが巧くいっていないために僕にはすっと入ってこなかったのではないでしょうか。
Posted by 永井秀幸 at 2011年09月19日 17:06
黄金の露をあずけて日和よし玉蜀黍の皮を剥きたり
夏の日の黄金の露を預かって、玉蜀黍が食べごろになったから、収穫してさあ皮を剥こう。
初読、近藤かすみさんの評と同様に、新鮮な黄金の粒ぞろいの玉蜀黍を想像して、気持ちの良い作品と受け取りましたが、でも、やはり、「あずけて」は誰が何をという疑問になりますよね。
「黄金の露をあずかり日和よし、、、」では如何でしょうか?
Posted by 庭野 摩里 at 2011年09月19日 20:20

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