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第7回ネット歌会詠草/18
さみどりの霧湧くごとき繁りより秋桜の花そつと咲(ひら)きぬ
*カッコ内はルビ
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この記事へのコメント
上の句の映像、きれいですね。緑の繁りを流れる霧が「さみどりの霧が湧く」なんてとてもいい表現だと思いました。その繁りの中に秋桜が咲いているのですね、。霧の動きもあって、秋桜も揺れているように感じられます。でも、「そっと」とまで言うのは繊細さの二乗・三乗でいささかくどいでしょうか。
Posted by 田宮ちづ子 at 2011年09月05日 19:03
好感をもった歌でしたが、前評の方と解釈が少し違っています。霧を「繁り」と比喩するのはすこし無理があると思いますので、コスモスの群落の葉の繁りを霧が湧くような柔らかいさみどりの広がりと比喩したのだと取りました。そこにコスモスの花がそっと咲き始めている状景と思いました。繊細な良い情景と思います。
「繁りより」は繁りの中にという意でしょうが「より」がもっとも適切な語であるかやや疑問を持ちました。それ以上に引っかかったのは「秋桜」です。12番の歌も似たような雰囲気の歌で「秋桜」となっているのですが何故「コスモス」でなくて「秋桜」なのでしょうか。ともに8音にしてまで秋桜にする必要はないと僕は考えます。
Posted by 永井秀幸 at 2011年09月07日 17:09
本当ですね。永井さんのおっしゃる通りですね。私は、本当に霧が流れているのだと思ってしまいました。次の歌が連想されました。
あさみどり花もひとつに霞みつつ
ひとつに見ゆる春の夜の月
更級日記にある歌です。
Posted by 田宮ちづ子 at 2011年09月08日 04:51
永井秀幸さんは、ご自身でもこの歌のような作風のものを詠まれますが、僕はこうした歌は詠まない(と最初から決めたわけではないのですが、なんとはなしにそうなってきました・・・)ので、自分にはないものに憧れる、というような意味合いでこうした歌に惹かれます。
上の句の解釈に関して、永井さんのコメントに賛同します。「より」についての疑念もその通りと思いました。
なお、12の歌の項にも書きましたが、「秋桜」と書いて、ルビをふらなくても「コスモス」と読むのではないでしょうか。
Posted by 斎藤 寛 at 2011年09月08日 07:38
秋桜の繊細な茎や葉が群がる様子を「さみどりの霧湧く」と喩えたのは秀逸だと思います。
永井さんがご指摘のとおり,「より」は再考の余地があるように感じました。
「秋桜」は,特にルビが無くても「コスモス」と読めると思うのですが…
Posted by 春野りりん at 2011年09月08日 08:43
12のところにも書きましたが「秋桜」は「あきざくら」として俳句の季語にもなっているようでルビを振らないでこすもすと読ませるのは短歌語としてもやはり無理ではないでしょうか。
Posted by 永井秀幸 at 2011年09月08日 13:05
「秋桜」について永井さんのコメントを拝見して、少し調べてみました。たしかに手許の歳時記(角川俳句歳時記第三版)では「コスモス」または「秋桜」で、例句をみると「コスモス」と読ませたい時は必ずカタカナで「コスモス」と書く、ということになっているように思いました。
一方、手許の新明解国語辞典には「秋桜」の項はなくて、「コスモス」を引くと、宇宙の意ではなく草の名としての「コスモス」には「秋桜」の字を当てる、と書かれています。
思えば「秋桜」と書いて「コスモス」と読むのは山口百恵のヒット曲のタイトルで刷り込まれたような気もするなあ、と思って、ウィキペディアの当該項(※)を見たら、《元々「秋桜」は「あきざくら」という読みであったが、同曲のヒットにより「コスモス」というそれまでになかった読み方が定着した》と書かれていて、典拠として『当て字・当て読み漢字表現辞典』(三省堂)が示されていました。とすれば、「秋桜」を「コスモス」と読むのはあの曲以来の最近の現象なのかも知れません。しかし百恵さんの影響力はこんなところにも及んでいたのか・・・、と思いました。
(※)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E6%A1%9C_(%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%99%BE%E6%81%B5%E3%81%AE%E6%9B%B2)
Posted by 斎藤 寛 at 2011年09月08日 15:45
「咲」という字は、本来「笑」と通ずる異体字(同一字といっていい)で、「わらう」「えむ」と読みます。
「さく」は国訓であり、花が咲く様子を「笑っている」と見立てたもので、「咲」の一字で「花がひらく」ことを示します。
「咲」を「ひらく」と読む訓は存在しません。
こういった歴史的根拠のない恣意的なルビを振るのは、いかにも稚拙だと思います。
内容的にも、前評者のおっしゃる通り上の句にも無理があり、昨日今日の初心者が、五七五にやっとあてはめたような感じで、見るべきところのない凡作と思います。
Posted by 坂本野原 at 2011年09月09日 09:26
コスモスの新明解国語辞典の例は知りませんでした。斎藤さんありがとうございました。僕も山口百恵の例は頭にあって歌謡曲語としてはあっても短歌語としては認めたくないと書こうかとも思ったのでしたが。
咲(ひら)く、について原則的には坂本さんの言われる通りと思いますが、このように読ませた(仮名を振った)歌は高野公彦にあり、小島ゆかりにも有るように記憶しています。僕は短歌語としてはぼ公認されている仮名振り語と思っていました。なお調べてみたいとおもいますが知識のある方がいたら教えてください。
Posted by 永井秀幸 at 2011年09月09日 16:59
「繁りより」の「より」については、中世の和歌、特に京極派の和歌に頻出するもので、どう解釈するものかいつも困ることがあるのですが、どうも「その繁りを根拠として」とか「その繁りのあたりに」と考えていいように思われます。
「咲」というのは確かに坂本さんのおっしゃる通り「ひらく」という訓はありませんが、「蕾が開いてゆく様子」を表しているものですから、拡大解釈すれば「ひらく」でもいいのではないかと。詩の言語とすれば、言葉にもう少し豊かな許容があっていいのではないかと、思うのです。行き過ぎると、とめどもないものがありますが。
私はこの歌はとても美しい映像を捉えていると思います。稚拙とは言えません。
Posted by 田宮ちづ子 at 2011年09月09日 18:42
源氏物語の有名な文章なのですが、夕顔の巻に夕顔の花が咲いている様子を「白き花ぞ、おのれひとり笑のひらけたる」と描いている文がありますが、「花が咲く」というのを「笑みがひらく」と言っているわけです。「咲く」を「ひらく」と読むのは、豊かな言語表現としてあり得る、という例証にならないでしょうか。
Posted by 田宮ちづ子 at 2011年09月09日 19:28
永井さんの仰るとおり、短歌語としては「咲(ひら)く」という振り仮名は一般的で、
多くの歌人の歌に用いられていますね。小池さんの歌にも幾つかあります。
Posted by 伊波虎英 at 2011年09月10日 02:02
「咲(ひら)く」が、現代短歌に用例の多い用法」だからといって、正しいとは限りません。
この問題に限りましては、私は決して承服しておりません。
「その用例はすべて間違っている」という論旨でコメントを書きたいと思います。
・・・が、準備が必要ですので、しばらく時間を頂きたいと思います。
私は、一流歌人(とその作品)を敬愛していますが、彼らは誤りも犯す生身の人間であり、無謬の神とは思っておりません。
権力者がすべて正しいわけではないのと同断です。
「剛腕」は小沢一郎だけで十分です。
Posted by 坂本野原 at 2011年09月10日 09:59
「凡作」というよりは、文体的にも表現的にも、そんなに悪くない、わりと意欲作だとおもいます。
「そっと」については田宮さんに同感。
「ルビ」二ついては、正誤を決めつけるのではなく、それぞれの作者の自分自身の歌における確固としたスタンスが大切なのではないでしょうか。自分のスタンスを他の人全員に押し付けるような問題ではないとおもいます。
短歌におけるほとんどの表現事項についても、ほぼ同様なことが多いです。
Posted by 山寺修象 at 2011年09月10日 10:46
よく分かりました。
前言を全面的に撤回し、皆さまにお許しいただけるなら、この問題は終結ということにさせていただきたいと存じます。
特に、「凡作」うんぬんの評言は、実はここ数日、個人的に非常にストレスが溜まってイライラカリカリしておりまして、八つ当たり気味の暴言であったと率直に認め、この場を借りまして衷心から謝罪申し上げます。・・・政治家じゃなくて本当に良かったと思っております^^;
・・・私は、割と血の気が多いところがありまして、普段の社会生活ではほぼ抑え込んでおりますが、短歌はかなり本気でやっておりますので、その分地金が露呈してしまった感じです。
誤用が多い「忸怩(じくじ)たる思い」という表現は、まさにこのことです。
Posted by 坂本野原 at 2011年09月10日 12:37
伊波さん、田宮さんありがとうございました。小池光論を書いている僕が、恥ずかしながら小池さんに「咲(ひら)く」があるとは認識していませんでした。
高野公彦氏の「咲(ひらく)」の例歌を探してみたのですが時間をかけなかったせいか見つけられませんでした。しかし以前「咲(ひらく)」を使おうかと躊躇していた頃、現歌壇で言葉にもっとも詳しく厳しい(と思っている)高野公彦氏が使っているのを目にして、ああ安心して使えるんだと思い僕も以後何首か使っています。そんなわけで高野氏が使っていることは間違いないと思います。
Posted by 永井秀幸 at 2011年09月10日 17:35
この作品もコメントが集中していますので、今更の感がありますが、すこし。
咲(ひらく)についてはそれぞれの検索確認におまかせします。どなたかが使い始めた短歌的用語かもしれませんね。誰が?という検索作業が大変だ。
添削じじい風に言えば、この作品の「より」と「そっと」にはかすかな疑義があります。
一言で言えば、「コスモス(秋桜)」は帰化植物特有の強さ、猛々しさを持っています。
「より」と「そっと」は、どこかそぐわない。
なお、私の歌集『バードランドの子守歌』に
卓上のチェス半身の馬たふれことばの格子にふるあきざくら
という作品があり、当時、コスモス→秋桜は、さだまさしの造語だという説もありました。講談社『日本大歳時記』の山本健吉の記載には、瀧井孝作の「秋ざくら」なども紹介されていて、大正〜昭和の間にコスモス→秋桜という和名は定着していたようです。
面白いのは、山本健吉が「ダリア、チューリップなどと同じようにコスモスはコスモスがいい」と書いているところ。
前述したように、この強靭な帰化植物を「秋桜」と書くと、「そっと」というような和風な穏やかな印象が強調されるのかもしれない。自作の反省もこめて。
Posted by 西王 燦 at 2011年09月10日 19:58
これまでなされていた議論の内容とは全く異なるのですが。
「さみどり」=若葉・初夏、と連想してしまいました。
確かに「さみどりの霧湧くごとき繁り」で完結した比喩ということなのでしょうが、それでも一首としては、「秋桜」とは相容れないなあと思いました。
Posted by 芝 典子 at 2011年09月10日 22:42
西王です。こまかなことですが、『新明解』について。
斎藤 寛さんが以下のようにお書き、
-----------------
一方、手許の新明解国語辞典には「秋桜」の項はなくて、「コスモス」を引くと、宇宙の意ではなく草の名としての「コスモス」には「秋桜」の字を当てる、と書かれています。
--------------
私の持っている初版『新明解国語辞典』には以下のように書かれています
--------------
コスモスA 庭に植える一年草。秋、枝の先ごとに、桃色・白などの、花びらが八枚のように見える花を開く。メキシコ原産。
--------------
「庭に植える」という書き方など山田忠雄の面目躍如ですが、初版には「秋桜」という語は登場しません。斎藤さん引用の(おそらく)二版以降の解説も、山田風な面白さがあると思いますが、『新明解』にいつごろ「秋桜」が登場したか興味尽きぬところ。暇があるかたの情報を求めます。
Posted by 西王 燦 at 2011年09月11日 03:54
歌評からはずれますが西王さんが書かれている『新明解』の「コスモス」、手許にペーパーの第5版(1997年)と、4年ほど前に購入したシャープの電子辞書に入っているもの(版数不明)とがあります。
第5版の「コスモス」は、「A庭に植える一年草。秋、枝の先ごとに、桃色・白などの、花びらが八枚のように見える花を開く。メキシコ原産。秋桜。[キク科]《かぞえ方》Aは一本」とあります。
電子辞書の方は、上記の説明中、《かぞえ方》の前の箇所に、「《表記》Aは「{秋桜}」の字を当てる。」というのが挿入されています。
上の方の斎藤のコメントは、この電子辞書から引きました。電子辞書の取説には版数が書かれてあったのかも知れませんが、引越しの時に取説は処分してしまいました。少なくとも、この「《表記》」の記述は第6版以降と思われます。
Posted by 斎藤 寛 at 2011年09月11日 08:46
西王です。斎藤さん、ありがとうございます。
そもそも「秋桜」とはなんぞや、というのがこの作品の主要テーマなので、お礼かたがた補足します。『新明解』初版(昭和四十七年)には「秋桜」は登場しませんが、なんと、昭和三十八年第一版十一刷の広辞苑に、しっかりと「秋桜」が登場していました。
--------------
コスモスA きく科の一年生草本。メキシコ原産。高さ約一・五メートルに達する。葉は線状に細裂。秋、大形の頭状花を開く。色は白・淡紅・深紅など。別称、あきざくら、おおはるしゃぎく。
---------------------
それぞれお持ちの広辞苑は、このような記述でありましょう。いつのころからか「おおはるしゃぎく」が削除されていると思いますが。
広辞苑の編集過程を想像すれば、おそらく戦前から「コスモス」=「秋桜」という和語は辞書的にも定着していたのだと思われます。
Posted by 西王 燦 at 2011年09月11日 11:16
西王さん、斎藤さん秋桜についての知識ありがとうございました。
広辞苑第六版電子辞書(シャープ)には秋桜とともにおおはるしゃぎくも「おおハルシャぎく」として記載されています。
Posted by 永井秀幸 at 2011年09月13日 17:05
永井さん、広辞苑第六版の情報ありがとう。
私の手元の第五版電子辞書(キャノン)には「おおハルシャぎく」がありません。
いろいろ面白そう。
どうぞ、作者も、この辞書遊びをお怒りにならぬように、ひらにお許しを。
Posted by 西王 燦 at 2011年09月13日 19:44
たくさんの貴重なコメントを頂き、多面的な視点に触れることが
できましたこと、とても勉強になりました。
どうも有難うございました。
Posted by 梶崎恭子 at 2011年09月25日 20:22
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「繁りより」は繁りの中にという意でしょうが「より」がもっとも適切な語であるかやや疑問を持ちました。それ以上に引っかかったのは「秋桜」です。12番の歌も似たような雰囲気の歌で「秋桜」となっているのですが何故「コスモス」でなくて「秋桜」なのでしょうか。ともに8音にしてまで秋桜にする必要はないと僕は考えます。
あさみどり花もひとつに霞みつつ
ひとつに見ゆる春の夜の月
更級日記にある歌です。
上の句の解釈に関して、永井さんのコメントに賛同します。「より」についての疑念もその通りと思いました。
なお、12の歌の項にも書きましたが、「秋桜」と書いて、ルビをふらなくても「コスモス」と読むのではないでしょうか。
永井さんがご指摘のとおり,「より」は再考の余地があるように感じました。
「秋桜」は,特にルビが無くても「コスモス」と読めると思うのですが…
一方、手許の新明解国語辞典には「秋桜」の項はなくて、「コスモス」を引くと、宇宙の意ではなく草の名としての「コスモス」には「秋桜」の字を当てる、と書かれています。
思えば「秋桜」と書いて「コスモス」と読むのは山口百恵のヒット曲のタイトルで刷り込まれたような気もするなあ、と思って、ウィキペディアの当該項(※)を見たら、《元々「秋桜」は「あきざくら」という読みであったが、同曲のヒットにより「コスモス」というそれまでになかった読み方が定着した》と書かれていて、典拠として『当て字・当て読み漢字表現辞典』(三省堂)が示されていました。とすれば、「秋桜」を「コスモス」と読むのはあの曲以来の最近の現象なのかも知れません。しかし百恵さんの影響力はこんなところにも及んでいたのか・・・、と思いました。
(※)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E6%A1%9C_(%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%99%BE%E6%81%B5%E3%81%AE%E6%9B%B2)
「さく」は国訓であり、花が咲く様子を「笑っている」と見立てたもので、「咲」の一字で「花がひらく」ことを示します。
「咲」を「ひらく」と読む訓は存在しません。
こういった歴史的根拠のない恣意的なルビを振るのは、いかにも稚拙だと思います。
内容的にも、前評者のおっしゃる通り上の句にも無理があり、昨日今日の初心者が、五七五にやっとあてはめたような感じで、見るべきところのない凡作と思います。
咲(ひら)く、について原則的には坂本さんの言われる通りと思いますが、このように読ませた(仮名を振った)歌は高野公彦にあり、小島ゆかりにも有るように記憶しています。僕は短歌語としてはぼ公認されている仮名振り語と思っていました。なお調べてみたいとおもいますが知識のある方がいたら教えてください。
「咲」というのは確かに坂本さんのおっしゃる通り「ひらく」という訓はありませんが、「蕾が開いてゆく様子」を表しているものですから、拡大解釈すれば「ひらく」でもいいのではないかと。詩の言語とすれば、言葉にもう少し豊かな許容があっていいのではないかと、思うのです。行き過ぎると、とめどもないものがありますが。
私はこの歌はとても美しい映像を捉えていると思います。稚拙とは言えません。
多くの歌人の歌に用いられていますね。小池さんの歌にも幾つかあります。
この問題に限りましては、私は決して承服しておりません。
「その用例はすべて間違っている」という論旨でコメントを書きたいと思います。
・・・が、準備が必要ですので、しばらく時間を頂きたいと思います。
私は、一流歌人(とその作品)を敬愛していますが、彼らは誤りも犯す生身の人間であり、無謬の神とは思っておりません。
権力者がすべて正しいわけではないのと同断です。
「剛腕」は小沢一郎だけで十分です。
「そっと」については田宮さんに同感。
「ルビ」二ついては、正誤を決めつけるのではなく、それぞれの作者の自分自身の歌における確固としたスタンスが大切なのではないでしょうか。自分のスタンスを他の人全員に押し付けるような問題ではないとおもいます。
短歌におけるほとんどの表現事項についても、ほぼ同様なことが多いです。
前言を全面的に撤回し、皆さまにお許しいただけるなら、この問題は終結ということにさせていただきたいと存じます。
特に、「凡作」うんぬんの評言は、実はここ数日、個人的に非常にストレスが溜まってイライラカリカリしておりまして、八つ当たり気味の暴言であったと率直に認め、この場を借りまして衷心から謝罪申し上げます。・・・政治家じゃなくて本当に良かったと思っております^^;
・・・私は、割と血の気が多いところがありまして、普段の社会生活ではほぼ抑え込んでおりますが、短歌はかなり本気でやっておりますので、その分地金が露呈してしまった感じです。
誤用が多い「忸怩(じくじ)たる思い」という表現は、まさにこのことです。
高野公彦氏の「咲(ひらく)」の例歌を探してみたのですが時間をかけなかったせいか見つけられませんでした。しかし以前「咲(ひらく)」を使おうかと躊躇していた頃、現歌壇で言葉にもっとも詳しく厳しい(と思っている)高野公彦氏が使っているのを目にして、ああ安心して使えるんだと思い僕も以後何首か使っています。そんなわけで高野氏が使っていることは間違いないと思います。
咲(ひらく)についてはそれぞれの検索確認におまかせします。どなたかが使い始めた短歌的用語かもしれませんね。誰が?という検索作業が大変だ。
添削じじい風に言えば、この作品の「より」と「そっと」にはかすかな疑義があります。
一言で言えば、「コスモス(秋桜)」は帰化植物特有の強さ、猛々しさを持っています。
「より」と「そっと」は、どこかそぐわない。
なお、私の歌集『バードランドの子守歌』に
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という作品があり、当時、コスモス→秋桜は、さだまさしの造語だという説もありました。講談社『日本大歳時記』の山本健吉の記載には、瀧井孝作の「秋ざくら」なども紹介されていて、大正〜昭和の間にコスモス→秋桜という和名は定着していたようです。
面白いのは、山本健吉が「ダリア、チューリップなどと同じようにコスモスはコスモスがいい」と書いているところ。
前述したように、この強靭な帰化植物を「秋桜」と書くと、「そっと」というような和風な穏やかな印象が強調されるのかもしれない。自作の反省もこめて。
「さみどり」=若葉・初夏、と連想してしまいました。
確かに「さみどりの霧湧くごとき繁り」で完結した比喩ということなのでしょうが、それでも一首としては、「秋桜」とは相容れないなあと思いました。
斎藤 寛さんが以下のようにお書き、
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一方、手許の新明解国語辞典には「秋桜」の項はなくて、「コスモス」を引くと、宇宙の意ではなく草の名としての「コスモス」には「秋桜」の字を当てる、と書かれています。
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私の持っている初版『新明解国語辞典』には以下のように書かれています
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コスモスA 庭に植える一年草。秋、枝の先ごとに、桃色・白などの、花びらが八枚のように見える花を開く。メキシコ原産。
--------------
「庭に植える」という書き方など山田忠雄の面目躍如ですが、初版には「秋桜」という語は登場しません。斎藤さん引用の(おそらく)二版以降の解説も、山田風な面白さがあると思いますが、『新明解』にいつごろ「秋桜」が登場したか興味尽きぬところ。暇があるかたの情報を求めます。
第5版の「コスモス」は、「A庭に植える一年草。秋、枝の先ごとに、桃色・白などの、花びらが八枚のように見える花を開く。メキシコ原産。秋桜。[キク科]《かぞえ方》Aは一本」とあります。
電子辞書の方は、上記の説明中、《かぞえ方》の前の箇所に、「《表記》Aは「{秋桜}」の字を当てる。」というのが挿入されています。
上の方の斎藤のコメントは、この電子辞書から引きました。電子辞書の取説には版数が書かれてあったのかも知れませんが、引越しの時に取説は処分してしまいました。少なくとも、この「《表記》」の記述は第6版以降と思われます。
そもそも「秋桜」とはなんぞや、というのがこの作品の主要テーマなので、お礼かたがた補足します。『新明解』初版(昭和四十七年)には「秋桜」は登場しませんが、なんと、昭和三十八年第一版十一刷の広辞苑に、しっかりと「秋桜」が登場していました。
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コスモスA きく科の一年生草本。メキシコ原産。高さ約一・五メートルに達する。葉は線状に細裂。秋、大形の頭状花を開く。色は白・淡紅・深紅など。別称、あきざくら、おおはるしゃぎく。
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それぞれお持ちの広辞苑は、このような記述でありましょう。いつのころからか「おおはるしゃぎく」が削除されていると思いますが。
広辞苑の編集過程を想像すれば、おそらく戦前から「コスモス」=「秋桜」という和語は辞書的にも定着していたのだと思われます。
広辞苑第六版電子辞書(シャープ)には秋桜とともにおおはるしゃぎくも「おおハルシャぎく」として記載されています。
私の手元の第五版電子辞書(キャノン)には「おおハルシャぎく」がありません。
いろいろ面白そう。
どうぞ、作者も、この辞書遊びをお怒りにならぬように、ひらにお許しを。
できましたこと、とても勉強になりました。
どうも有難うございました。