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2011年09月01日
第7回ネット歌会詠草/15
利休鼠の砂ひたすらに降り続く12チャンネルまで聞けたラジオは
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この記事へのコメント
テレビが出回るまでは、世の中はもっぱらラジオの時代であった。ラジオ放送は、電波の情況に左右された。チャネルによっては、ザーザーと砂が降るような雑音が重なることもしばしばであった。この歌では、その砂の色を利休鼠に見立てたのである。今となっては懐かしい思い出。
Posted by 秋田興一郎 at 2011年09月05日 09:31
これはこの七月の 地デジ化のことを言ってるのでしょうか。以前は、テレビの音声が12チャンネルまでラジオで聞けたらしいのですが、それが今回の地デジ化で聞けなくなりました。この歌、説明がないと分かりにくいかもしれません。
聴覚のザーザーの音が、視覚的な利休鼠の色で表現されているのが魅力的です。
Posted by 田宮ちづ子 at 2011年09月14日 19:46
利休鼠の砂ひたすらに降り続く12チャンネルまで聞けたラジオは
前半は地デジ化して見ることの出来なくなったアナログのテレビ、後半はテレビの音さえも聞くことの出来なくなったラジオのことを言っていると読みました。
わが家も、アナログテレビのままで地デジ化に対応したため、ネットのプロバイダーまで変更になり、メアドも変わり、結構面倒な思いをしました。
ラジオを詠うのに、利休鼠の色を入れるのは無理な気がします。やはり利休鼠は、テレビ画面と解釈するのが自然だと思います。
Posted by 近藤かすみ at 2011年09月14日 22:07
利休鼠の砂ひたすらに降り続く12チャンネルまで聞けたラジオは
一読なんのことかまるでわかりませんでしたが、皆さまのコメントを読んで
地デジ化のことをいってられるらしい、とわかりました。
前半が「見られなくなってしまったアナログテレビ受像機の画面に利休鼠色に
降り続く砂」で後半が「ラジオで12チャンネルまで聞けたのに今は何も
聞くことができない」というセットで、地デジ化の影響を詠っているかと。
が、一首で影響全部を詠うのは無理だと思います。テレビならテレビの
ことだけ、ラジオならラジオのことだけで一首精一杯でしょう。
せめて下句は「まで」をはずして上下入れ替えて「ラジオは12チャンネル
聞けたに」とでもすれば、まだ多少はわかりやすくなるかとも思いますが。
Posted by 花鳥 佰(かとりもも) at 2011年09月14日 23:12
再度すみません。
「ラジオは12チャンネル聞けたに」ではなく、「ラジオに12チャンネル聞けたに」の
方がいいかと思います。
Posted by 花鳥 佰(かとりもも) at 2011年09月14日 23:15
利休鼠の砂ひたすらに降り続く12チャンネルまで聞けたラジオは
田宮さんの解釈の通り、今までラジオで聴くことができたテレビ音声が
地デジ化によって聴けなくなり、ひたすら利休鼠の砂が降り続くような
雑音しか聞こえなくなったという歌意でしょうね。
放送終了後のテレビ画面の灰色と、それを「砂嵐」と呼ぶ言葉のイメージから
「利休鼠の砂」という表現を見出し、それを視覚ではなく聴覚へと展開して1首にしたのは見事です。
下句を「テレビ音声が聴けたラジオに」としたほうが、
歌がわかりやすくなるんじゃないでしょうか。
Posted by 伊波虎英 at 2011年09月15日 17:45
伊波さんの意見に同意します。利休鼠ってのを色見本で見ますと、確かにあの画面その感じです。粋人の色の利休鼠なんですが、この現在、ラジオ以下のものになってしまったテレビを侘びととってもいいのか、いいとおもいます。
Posted by ふゆのゆふ at 2011年09月16日 20:09
それぞれのコメントを楽しく読みました。
「利休鼠の砂ひたすらに降り続く」という斬新な表現の背後には、北原白秋の「利休鼠の雨がふる」という『城ヶ島の雨』がありそうです。そういう意味でも、「視覚→聴覚」への展開という解釈は素敵だと思います。
なお、白秋に「どんな鼠がふって来たのか」と尋ねた人がいる、という有名なエピソードあり。
Posted by 西王 燦 at 2011年09月17日 08:29
作者の斎藤寛です。コメントをいただいた皆さま、ありがとうございました。
たいていのラジオはFMのバンドのオマケ(?)で、アナログテレビの1〜3チャンネルの音声も聞けるようになっていますが、中にはさらに4〜12チャンネルの音声のバンドがついているものがあります。今、そのバンドは「ザー」というノイズだけが聞こえます。
ラジオのノイズを「利休鼠・・・」と言ったのはわかりにくかったかなあ? と思い、アナログテレビを詠んだ改作も考えたのですが、どちらを残すか迷っています。
Posted by 斎藤 寛 at 2011年09月22日 07:20
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「利休鼠の砂」という表現を見出し、それを視覚ではなく聴覚へと展開して1首にしたのは見事です。
下句を「テレビ音声が聴けたラジオに」としたほうが、
歌がわかりやすくなるんじゃないでしょうか。
「利休鼠の砂ひたすらに降り続く」という斬新な表現の背後には、北原白秋の「利休鼠の雨がふる」という『城ヶ島の雨』がありそうです。そういう意味でも、「視覚→聴覚」への展開という解釈は素敵だと思います。
なお、白秋に「どんな鼠がふって来たのか」と尋ねた人がいる、という有名なエピソードあり。
たいていのラジオはFMのバンドのオマケ(?)で、アナログテレビの1〜3チャンネルの音声も聞けるようになっていますが、中にはさらに4〜12チャンネルの音声のバンドがついているものがあります。今、そのバンドは「ザー」というノイズだけが聞こえます。
ラジオのノイズを「利休鼠・・・」と言ったのはわかりにくかったかなあ? と思い、アナログテレビを詠んだ改作も考えたのですが、どちらを残すか迷っています。