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第7回ネット歌会詠草/6
たそがれをおしとどめんとシグナルはその青の色ふかめてゆけり
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この記事へのコメント
古今集によく見られるような、理屈の歌ですね。
ただ、その理屈が、今ひとつ私にはよく理解できないのですが、なんとなく面白いのは否定できません。一種のナンセンスな面白みでしょうかね。
「暮れゆく黄昏を押しとどめようと、信号機がその青の色を深めていった」んですか?
・・・やっぱりよく分からない(笑)
Posted by 坂本野原 at 2011年09月06日 12:57
この歌、よく読むと面白いですね。ものすごくユニークです。黄昏が深まってゆく― つまりどんどん暗くなってゆく時に、青信号がものすごく踏ん張って、明るさを出してゆく、という捉え方が、ちょっと笑えるくらいいいではないですか。暗くなるのを押し止めようとしているかのようなシグナルの奮闘。魅力的です。
Posted by 田宮ちづ子 at 2011年09月06日 16:33
夕闇が深くなってゆくとき、信号機の色はだんだん濃く感じるようになります。そのことを、シグナルの青色を主体に擬人化して、「青色が深まっていくのは、たそがれを押しとどめたいからなのだ」と言っているのではないでしょうか?「古今集によくあるような理屈の歌」というコメントのほうが疑問です。例えば古今集のどんな歌に共通性を覚えられるのでしょうか。言葉の選び方もリズムもさわやかで好きな歌です。
Posted by さとう ひろこ at 2011年09月06日 16:35
この歌、よく読むとものすごく面白いですね、見方がユニーク。黄昏時のどんどん暗くなってゆく時に、それに抗って明るさを際立たせてゆくシグナルの奮闘! たしかに夕暮れ時のシグナルって暗くなるのを押し止めようとするかのような威力が感じられますね。
Posted by 田宮ちづこ at 2011年09月06日 16:40
まず、前提として、私は「理屈」というものを否定的に見ておりません。
俳諧の方では厳しく排される理屈ですが、短歌表現では十分「あり」だと思っております。
自分でもかなり好きな方で、月例の拙作は全篇これ理屈のオンパレードです(・・・それもどうかと思いますが)。
さて、この歌「暮れゆく黄昏を押しとどめようと、信号機がその青の色を深めてい」くというのは、単なる写実ではなく、まさしく理屈にほかなりません。これを私は面白いと思い、好意的に評価しております。
ただ、前評者の方がおっしゃるほど分かりやすい表現とは思いません。今でも若干疑問符が点滅しております。
また、古今和歌集に技巧的な理屈の歌が多いことは周知の事実で、これを嫌った正岡子規が「歌よみに与ふる書」などで激しく批判したこともよく知られています。
が、これは子規の短歌革新に向けた一種の煽動的言辞と捉えられており、それから100年以上経過した現在では、新たな視点で見直されているのが現状ではないでしょうか。
なお、「理屈」という言葉がお気に召さなければ、「観念性」といってもいいと思いますが、これはまたさらに観念的な言葉です。
具体例は枚挙にいとまがありませんが、思いつくままにいくつか挙げますと、例えば
2 紀貫之 袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ
53 在原業平 世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
169 藤原敏行 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
193 大江千里 月見れば千々にものこそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど
294 在原業平 ちはやぶる神代も聞かず龍田川からくれなゐに水くくるとは (小倉百人一首 17)
330 清原深養父 冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ
323 紀貫之 雪降れば冬ごもりせる草も木も春に知られぬ花ぞ咲きける
411 在原業平 名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
872 遍昭 天つ風雲のかよひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ (小倉百人一首 12)
・・・などです。これらはいずれも名歌・秀歌とされつつ、典型的な「理屈(観念性)の歌」であり、近代短歌の発想とは全く異なっております(が、私は愛しております)。
Posted by 坂本野原 at 2011年09月08日 11:29
私への反論ではないようなのですが。
この歌 「あ、信号の青が光り輝いてきれいだな」という実感があって、それから「あ、もう夕暮れだ」という思い。そこで「この青の光は黄昏を押し止めようとする光なんだな」という気づき、発見があるという仕組みになっています。その思考のプロセスは確かにおっしゃるとおりに古今和歌集的ですよね。この気づき・発券を理屈と言ってしまうと否定的になりますね。ただ、坂本さんはこの歌のその理屈が「わからない」と繰り返しておられる。それはどうしてなのでしょうね。
新古今あたりの和歌をずっと読んでから、ふっと古今あたりにもどると、その素朴さと初々しさに驚くことがあります。自分の気づきと発見を素直によろこんでいる美しさがあります。新古今あたりの理屈づくめで構築された美の世界にくらべるととても素直です。
この6番の歌も、とても素直に自分の発見と気づきを詠んでいる、という感じがします。
Posted by 田宮ちづ子 at 2011年09月08日 12:41
田宮さんの、問題の核心に迫る、正鵠を射たコメント(ツッコミ)に感謝いたします(^^)
おかげさまで、私自身の頭の中も整理できました。
確かに、田宮さんの解釈に従えば、おっしゃる通りの意味になるでしょう。
作者の方の意図した意味内容も、忖度すればおそらくそういうことなのかも知れません。
ただ、作者は、表現として「(信号の)青が光り輝いて」ゆくとは言っておりません。
「青の色(を)ふかめてゆ」くと言っております。
日本語の通念として、「深い色(色彩)」といえば、濃く、(明度が)暗い色を言います。
「色を深める・色が深まる」も同様で、濃く、暗くなっていくことをいいます。
「浅緑・深緑、薄紅・真紅、薄紫・深紫(濃紫)」などの対比を見れば明らかです。
「明るさを深める」というような言い回しはなく、もし敢えて使うとすれば、造語的・人工的な新奇の表現となります。
「色の百科事典 イロペディア」の「青」の項目をご覧下さい。
http://iropedia.web.fc2.com/blue/index.html
従って、本文テキストを素直に逐語的に受け止めれば、この「シグナル」は「青の濃さを増し、暗くなっていった」ということになり、解釈は困難です。
一字一句、一点一画までが問題となる短歌表現においては、かなり雑駁かつ不正確な言い回しではないかと思います。
「理屈」という評言が否定的に感じられるということであれば、「見立て」の歌ということにいたしますが、その辺ではおおむね共通認識が出来たようですが、その見立てを成立させるためには、言葉の正確な運用が求められると思います。
田宮さんのおっしゃるニュアンスにするためには、下の句などの適切な推敲が必要と思われます。
Posted by 坂本野原 at 2011年09月08日 14:45
いろいろと面白いコメントの応酬がありますが、「理屈」というのは理解できます。
シグナルが「たそがれをおしとどめん」としているように見えることも、「その青の色ふかめてゆけり」と思うことも、シグナル自体には関係の無い、作者の思いいれですね。
古今集もこうだったという坂本さんの指摘にもかなり同意しますが、古今集には今少し共通感覚があって、ひとりよがりではなかったかも知れませんね。
理屈っぽさの原因を添削じじいふうに指摘すれば、「その青色」の「その」です。これはあきらかに古今集どころではない理屈っぽさだと思うのですが、いかがでしょう。
Posted by 西王 燦 at 2011年09月10日 21:44
たそがれをおしとどめんとシグナルはその青の色ふかめてゆけり
黄昏時の茜色に染まる空に対して、周囲が暗くなる程に青い光が際立ってくる信号の色。この二つの光の対比をうまくとらえた一首だと思います。詠まれている風景が鮮やかに浮かんできます。
圧倒的な夕暮れの空に対して、一つの信号の青はあまりにも小さい存在ではありますが、決して茜色に埋没することはない。深読みに過ぎるかも知れませんが作者の心意気が伝わって来るようです。
Posted by 村上 喬 at 2011年09月10日 22:31
くどいようですが(・・・私もくどくどモノを言うのは嫌いなのですが)、「青の色ふかめてゆけり」を「青い光が際立ってくる」とは、(日本語の常識として)到底読めません。
「際立つ」と言いたいのなら「際立つ」と表現すればいいのではないでしょうか。
この問題は、もう決着がついていると思いますので、何気に蒸し返すのはやめてください。
深読みに過ぎます。
Posted by 坂本野原 at 2011年09月11日 09:24
「青の色ふかめてゆけり」は青色が濃く、明度が暗くなっていったということでありますが、色が強くなることでもあります。(イロペディアで確認)たそがれてゆく背景との対比でシグナルの色が濃くなっていくのを、「たそがれをおしとどめんと」しているという作者の思い入れを詩情だとわたしは感じました。ただ、ある一定の時間的経過が必要な歌ではありますね。古今集との共通性を言うなら理屈ではなく、豊かな想像力だと思います。
Posted by さとう ひろこ at 2011年09月13日 18:02
たそがれをおしとどめんとシグナルはその青の色ふかめてゆけり
作者の見立てがユニークで惹かれた作品です。
「シグナル」は、素直に「信号」とした方がいいと思いました。それと、結句は
「その青の色ともしてゐたり」と情景描写にとどめておいた方がよかったかなとも思いました。
Posted by 伊波虎英 at 2011年09月14日 01:11
一言、もう青についてはこれで私はおしまいにします。
光の青と色彩の青は違うんです。
そこのところでこんがらがっている気がしますが、歌自体もなんだか混乱を生じやすい歌である、ところがあります。
Posted by ふゆのゆふ at 2011年09月16日 19:50
みなさま 活発なご意見ありがとうございました。
作者としては、秋になりワンコとの散歩でとうりかかるいつもの信号の色がより鮮やかだなあぐらいの感覚です。
理屈っぽいという意識はありませんでしたが・・・
いろいろ勉強になりました。
書き込みありがとうございました。
Posted by 青柳泉 at 2011年09月22日 20:41
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ただ、その理屈が、今ひとつ私にはよく理解できないのですが、なんとなく面白いのは否定できません。一種のナンセンスな面白みでしょうかね。
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・・・やっぱりよく分からない(笑)
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さて、この歌「暮れゆく黄昏を押しとどめようと、信号機がその青の色を深めてい」くというのは、単なる写実ではなく、まさしく理屈にほかなりません。これを私は面白いと思い、好意的に評価しております。
ただ、前評者の方がおっしゃるほど分かりやすい表現とは思いません。今でも若干疑問符が点滅しております。
また、古今和歌集に技巧的な理屈の歌が多いことは周知の事実で、これを嫌った正岡子規が「歌よみに与ふる書」などで激しく批判したこともよく知られています。
が、これは子規の短歌革新に向けた一種の煽動的言辞と捉えられており、それから100年以上経過した現在では、新たな視点で見直されているのが現状ではないでしょうか。
なお、「理屈」という言葉がお気に召さなければ、「観念性」といってもいいと思いますが、これはまたさらに観念的な言葉です。
具体例は枚挙にいとまがありませんが、思いつくままにいくつか挙げますと、例えば
2 紀貫之 袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ
53 在原業平 世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
169 藤原敏行 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
193 大江千里 月見れば千々にものこそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど
294 在原業平 ちはやぶる神代も聞かず龍田川からくれなゐに水くくるとは (小倉百人一首 17)
330 清原深養父 冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ
323 紀貫之 雪降れば冬ごもりせる草も木も春に知られぬ花ぞ咲きける
411 在原業平 名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと
872 遍昭 天つ風雲のかよひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ (小倉百人一首 12)
・・・などです。これらはいずれも名歌・秀歌とされつつ、典型的な「理屈(観念性)の歌」であり、近代短歌の発想とは全く異なっております(が、私は愛しております)。
この歌 「あ、信号の青が光り輝いてきれいだな」という実感があって、それから「あ、もう夕暮れだ」という思い。そこで「この青の光は黄昏を押し止めようとする光なんだな」という気づき、発見があるという仕組みになっています。その思考のプロセスは確かにおっしゃるとおりに古今和歌集的ですよね。この気づき・発券を理屈と言ってしまうと否定的になりますね。ただ、坂本さんはこの歌のその理屈が「わからない」と繰り返しておられる。それはどうしてなのでしょうね。
新古今あたりの和歌をずっと読んでから、ふっと古今あたりにもどると、その素朴さと初々しさに驚くことがあります。自分の気づきと発見を素直によろこんでいる美しさがあります。新古今あたりの理屈づくめで構築された美の世界にくらべるととても素直です。
この6番の歌も、とても素直に自分の発見と気づきを詠んでいる、という感じがします。
おかげさまで、私自身の頭の中も整理できました。
確かに、田宮さんの解釈に従えば、おっしゃる通りの意味になるでしょう。
作者の方の意図した意味内容も、忖度すればおそらくそういうことなのかも知れません。
ただ、作者は、表現として「(信号の)青が光り輝いて」ゆくとは言っておりません。
「青の色(を)ふかめてゆ」くと言っております。
日本語の通念として、「深い色(色彩)」といえば、濃く、(明度が)暗い色を言います。
「色を深める・色が深まる」も同様で、濃く、暗くなっていくことをいいます。
「浅緑・深緑、薄紅・真紅、薄紫・深紫(濃紫)」などの対比を見れば明らかです。
「明るさを深める」というような言い回しはなく、もし敢えて使うとすれば、造語的・人工的な新奇の表現となります。
「色の百科事典 イロペディア」の「青」の項目をご覧下さい。
http://iropedia.web.fc2.com/blue/index.html
従って、本文テキストを素直に逐語的に受け止めれば、この「シグナル」は「青の濃さを増し、暗くなっていった」ということになり、解釈は困難です。
一字一句、一点一画までが問題となる短歌表現においては、かなり雑駁かつ不正確な言い回しではないかと思います。
「理屈」という評言が否定的に感じられるということであれば、「見立て」の歌ということにいたしますが、その辺ではおおむね共通認識が出来たようですが、その見立てを成立させるためには、言葉の正確な運用が求められると思います。
田宮さんのおっしゃるニュアンスにするためには、下の句などの適切な推敲が必要と思われます。
シグナルが「たそがれをおしとどめん」としているように見えることも、「その青の色ふかめてゆけり」と思うことも、シグナル自体には関係の無い、作者の思いいれですね。
古今集もこうだったという坂本さんの指摘にもかなり同意しますが、古今集には今少し共通感覚があって、ひとりよがりではなかったかも知れませんね。
理屈っぽさの原因を添削じじいふうに指摘すれば、「その青色」の「その」です。これはあきらかに古今集どころではない理屈っぽさだと思うのですが、いかがでしょう。
黄昏時の茜色に染まる空に対して、周囲が暗くなる程に青い光が際立ってくる信号の色。この二つの光の対比をうまくとらえた一首だと思います。詠まれている風景が鮮やかに浮かんできます。
圧倒的な夕暮れの空に対して、一つの信号の青はあまりにも小さい存在ではありますが、決して茜色に埋没することはない。深読みに過ぎるかも知れませんが作者の心意気が伝わって来るようです。
「際立つ」と言いたいのなら「際立つ」と表現すればいいのではないでしょうか。
この問題は、もう決着がついていると思いますので、何気に蒸し返すのはやめてください。
深読みに過ぎます。
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「シグナル」は、素直に「信号」とした方がいいと思いました。それと、結句は
「その青の色ともしてゐたり」と情景描写にとどめておいた方がよかったかなとも思いました。
光の青と色彩の青は違うんです。
そこのところでこんがらがっている気がしますが、歌自体もなんだか混乱を生じやすい歌である、ところがあります。
作者としては、秋になりワンコとの散歩でとうりかかるいつもの信号の色がより鮮やかだなあぐらいの感覚です。
理屈っぽいという意識はありませんでしたが・・・
いろいろ勉強になりました。
書き込みありがとうございました。