2011年09月01日

第7回ネット歌会詠草/2

六差路の夜(よ)の信号はいまここを紅に染めあぐふたりのために

*カッコ内はルビ
posted by 短歌人会 at 00:33| Comment(4) | TrackBack(0) | 第7回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
六差路が全赤信号になっている場面を想像します。このふたりが、クルマで先を急いでいるとしたら最悪ですが、デートの徒歩の帰りなら、六差路のまんなかで深いキスをしてもよろしいでしょう。

ただし、「染めあぐ」の「あぐ」はやや性急な印象。逆に「攻めあぐねる」という連想さえ与えます。「染めをり」のほうが、接吻の気分的な時間が長く感じられるのですがいかがでしょう。
Posted by 西王 燦 at 2011年09月07日 20:22
六差路にさしかかった二人の足を止める時間を、赤信号が作ってくれたということですね。
直接は表されていませんが、雨降りの夜のことと読みました。
というのは、雨で濡れた路面に映る信号の色が、辺りにぼんわりと広がっている光景を思い浮かべたからです。

「染めあぐ」という語ですが、ほんの短い赤信号の間を表現するのに“−あぐ”は適当でしょうか?
私には、“染む”という動詞の感触からしても、相当の時間の経過があるように思えるのです。
Posted by 芝 典子 at 2011年09月10日 22:12
六差路の夜(よ)の信号はいまここを紅に染めあぐふたりのために

六差路なんてあるのかしら、と思ってしまった。フランスやイタリアは道路が
放射状に作られているのでやたら多くの道が集中するが、通常は交差点では
なくロータリーになっているので車は問題ない。問題あるのは突っ切ろうと
する歩行者である。
と思ってウェブで調べてみたら、池袋などに六差路があるという。
「ふたりのために」とあるので、作者たちは信号が赤なのを喜んでいる。
たぶん歩行者なのだろうと思うが、運転をしている作者と助手席の相手、
または逆、と読んでもいいし、むしろそのほうがいいかもしれない。車の
運転中はゆっくり隣のひとの顔など見てられないが、信号でストップして
いる間、それもなかなか青には変わらない六差路での赤信号では、じっと
顔を見ることができるし、なんならキスもできる。

「染めあぐ」と言いたい気持ちはよくわかる。赤信号の時間はそうとう長いので
「染める」もいいと思うが、「あぐ」はやはり「いる」くらいのほうがいいでしょう。

あと、定型に収めるために「夜」を「よ」と読ませるのはうたが性急になって
よくないと思う。「よる」と読ませて、「信号は」の「は」を削ってはどうでしょう。

わたしも雨が降っていて信号の赤が滲んで見える、と読みました。

Posted by 花鳥 佰(かとりもも) at 2011年09月14日 21:45
夜の信号、赤、六叉路、染めあぐ

これだけの語でイメージをみると妙にまがまがしい気がしてしまいました。点滅信号(深夜は赤か青だけが点滅している信号)が早朝、もしくは深夜にいったん赤のみになります。そうでないと却って事故が起きるからです。

六叉路になると下に方向指示があるはずですが、事故多発の不穏の空気を感じて困っています。

あまり赤い信号で煌々と照った道路というのもラッキーなイメージでない。

意図的な挑発かな?困ったな。

Posted by ふゆのゆふ at 2011年09月16日 19:35

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