この記事へのコメント
意味がうまくつかめなくて悩んでいます。
四句までを見ると
「成金も母が恋しいので(母が好きだった高価な)百目柿を手に入れようとする、あるいは手に入れた」といった意味に取れます。
そういう伝説があるのでしょうか?
この場合成金の母はもう亡くなっているか遠くにいるように思われます。
ところが結句の「母との散歩で」わからなくなりました。
今誰かと母が散歩しています。
この母は誰の母?
成金の母ではないように思うので作者の母?

作者の母だとすると
作者と母が散歩していた時百目柿を見つけた。「これは成金も母が恋しくて手に入れた柿だよ」と作者と母との会話でしょうか?

どなたか読み解いてくださいませ。
Posted by 海野雪 at 2011年11月10日 09:14
この歌の意味がうまく取れなくて、とても気になっています。
作者さんに自解をしていただくと嬉しいです。
Posted by 海野雪 at 2011年11月23日 07:56
海野雪様、コメントありがとうございます。
表現が下手でわかりづらい歌で申し訳ありません。

この歌が出来た背景は、こうです。

最近足がめっきり弱くなってきた母のために車椅子を手に入れ、近所の川沿いを夕方散歩していたのですが、私が車椅子の扱いがまだ慣れなくて、歩道の斜面にハンドルを取られてあやうく車椅子に乗せた母こ゛と車道に倒れそうになったのです。そのあまりにもぶきっちょな様子は車で通りかかった人が声をあげて笑うほどでした。私はなんとか足をふんばり車道には落ちずにすんだのですが、その様子を道路を隔てて見ていた(そのあまりの派手な家の作りのゆえ以前から気になっていた)豪邸に住む主らしい六十代くらいの男性が「ばあさん、柿いるかい?柿!」と大声で私たちに呼びかけてくれました。

私たちが家の前まで来ると主の男性は、最近お母様を亡くしたばかりで、年齢は母よりかなり上で、口も彼の母親のほうがかなり達者だったそうですが、私の母に少し雰囲気が似ていたそうです。

わたしがあんまり下手くそな車椅子で二人で歩いているのもあって声をかけたとのことでした。

母の年齢をたずねたあと、こちらが聞きもしないのに、手を拡げて「一代でこれだけのものを築いたんだ」と屋敷や武道教室のための建物や車や庭を(庭にはアヒルがいつも戯れていて、これだけでも珍しい家だと思っていた)示したあと「色々な木が植わっているだろ?(りんご,蜜柑の他は種類はわかりませんが、一本ずつなんとなく変わった木の植え方をしていました。とにかくどんな人が住んでいるのだろうとは思ってました。)この柿の木も若い頃柿の実を盗んで警察につかまって。そのことを忘れないために植えたんだ」と冗談かどうかは判りませんがとうとうと話していて、頂いた柿が百目柿だということや、焼酎で渋を抜く方法をこの主に教わり、百目柿を15個ほどいただいて家に帰宅したのでした。歌の材料は別の場面を歌にすれば良かったのかもしれませんね。
Posted by 佐々木ゆか at 2011年12月02日 10:37
まだ投稿できるかな?
佐々木さん、この歌の生まれた背景を詳しく解説くださってありがとうございました。
「得る」は成金が得たのではなく作者(佐々木さん)が得たという状況だったのですね。
ちょっとこれはそのようには読めなかったです。
この出来事を連作にするとおもしろい題材ですね。
Posted by 海野雪 at 2011年12月05日 13:01
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