この記事へのコメント
神の愛として例に出したものが、「塩大福のしほの味はひ」という具体的であり、かつ庶民的であるところに、作者の独創的な思いを見た気がします。意外なものを持ってきた面白みがあります。
Posted by 近藤かすみ at 2011年11月09日 00:34
神の愛というものはあるのかないのか分からないような、普通の人には観念に過ぎないようなものですから、実在としてはなかなか感じ取れません。こういう不確かな神仏の愛をいかに感じ取れるか、いろいろ解釈があって、たとえば観音菩薩やお地蔵菩薩はわれわれ衆生を救済しようと頑張っておられるけれども、手が届かないものだから手近の人や急を要する人から救済する、それ以外の人には「もう少し自力で頑張れ、そのうち必ず行くから」と声をかけているのだとか、振り向くとそこに仏様が微笑んでいるとか、要するに神仏の愛は具体的なものとしては見えてこないのです。
その不確かな愛が、塩大福の塩の味のようだ、というのは、じわじわとした良さがあります。塩大福の塩の味も同じようにあるような無いような、はつかなるもので、おなじように「はつかなる」神の愛と通じ合うのですね。
「もし神のあらばその愛」の後で、読点があって「はつかなる」がありますが、ここは気分的につながっていて、神の愛の「はつかなる」雰囲気が滑らかに塩大福につながっていっています。
でも、この歌、歌の手練れが余裕で作っちゃった、という感じがするのです。それだけ、余裕のある詠みぶりということなんですが。
Posted by 田宮ちづ子 at 2011年11月12日 04:50
コメントありがとうございました。
最近、塩大福にハマっていてそれでこのような歌ができました。
 
Posted by 伊波虎英 at 2011年11月25日 01:28

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