この記事へのコメント
秋になると太陽が低くなり、したがって街を行く人影も長くなりいかにも秋だなあという感じが強くなります。上の句はよく分かり良いと思いました。
下の句がやや分かりにくいが、街のビルの大きなガラス窓が風に吹かれてたわんだ感じで秋の早い日が暮れて行くということかなと取りました。しかし、それでいいのか自信が持てず他の方のご意見を聞きたい気がしています。
Posted by 永井秀幸 at 2011年11月10日 16:48
西王です。

『岩波古語辞典』の基本助動詞解説(大野晋)を引用します。

辞書の面白さは、山田忠雄さんの『新明解』に代表されますが、大野晋さんの『岩波古語辞典』にもいろいろ面白い書き方があります。
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【き】意味は「き」のうける事柄が、確実に記憶にあるということである。記憶に確実なことは、自己の体験であるから、「き」は「・・・だった」と自己の体験の記憶を表明する場合が多い。しかし、自己の体験し得ない、または目撃していない事柄についても用いる。例えば、みずから目撃していない伝聞でも、自己の記憶にしっかり刻み込まれているような場合には、「き」を用いて「・・・だったそうだ」の意を表現した。
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この、なんとも理屈っぽい書き方、面白いと思いませんか?

さて、「風にたわみし玻璃」というのは、「風にたわんだ玻璃」あるいは「風にたわんでいる玻璃」という永井さんの読みが正しいでしょうから、大野晋的には間違いです。これは参考までに書くことで、作者を貶めるものではありません。私が参加している某添削講座でも「き」は「〜た」程度の解釈を薦めているようです。

さて、「風にたわみし玻璃」というのは、現代建築のビルの玻璃をたわめるような風だとすると、うっかりすると台風のように解釈されませんか?
「秋の日は街行く人影長くして」という、のどかな秋の晴天との按配が、不肖にはうまく調和的に理解できないところもあります。どなたか、どうぞよろしく。
Posted by 西王 燦 at 2011年11月10日 19:59
現実的に考えるとビルの大きな窓でも風でたわむことはないのではないでしょうか。
しかし窓は真っ直ぐのはずなのに鏡のように窓に外の風景が映るときは微妙にデフォルメされて映ります。
夕暮れの陽の光がビルの窓に映っていて、それが緩やかにデフォルメされ、見ていると揺れているように感じられるのを「風にたわむ玻璃」と文学的に表現したのかなと思いました。
私も自信はないのですが。
Posted by 海野雪 at 2011年11月10日 21:13
僕も前記の読みでは、『見ていると揺れているように感じられるのを「風にたわむ玻璃」と表現した』という海野さんと同じ受け取り方をしましたが、もうひとつ違う解釈も考えられると思うようになりました。
秋の空気が風にたわんだガラスのような感じで暮れて行く、というものですが、ガラスは普通平面ですから、やはりこれは無理な解釈かもしれません。
「たわみし」の「し」ですが、『「「し」「き」は「〜た」程度の解釈を薦めているようです』と西王さんが書かれている通り僕は問題ないと考えます。以前から短歌界では「き」は大過去だと言う説が多くて気になっていたので注意していました。
手許の福武古語辞典にも旺文社古語辞典にも、完了、存続の意をあらわし、「…ている」「…てある…」。という項があり、平安時代和歌での使用例が載っています。またわが畏敬する斎藤茂吉にも「し」の完了、存続での使用例はゴマンとあります。
Posted by 永井秀幸 at 2011年11月11日 17:17
助動詞「き」について、参考までにもうすこし書いておきますね。

「広辞苑」第一版。編者は新村出さんですが、語法に関しては、ほとんどが大野晋さんの手になるものです。

【き】
 @過去の直接の経験を回想する意を表わす。
 A想起した事柄を表わす。
 B後世、誤って過去の動作・作用の存続を表わす。・・・ている。

この、「後世、誤って」というのが、大野晋さんの『岩波古語辞典』への拘りだろうと思います。

語法なんて、時代によって変わっていくのに、「誤って」というふうに書くのが面白い。

諸君、お手元の、現代の『広辞苑』の解説は、第一版とは、まったく趣きが違うはずです。

さて、作品に戻りまして

「緩やかにデフォルメされ、見ていると揺れているように感じられるのを「風にたわむ玻璃」と文学的に表現したのかな」という海野さんの解釈に、なかば同意しているところです。
Posted by 西王 燦 at 2011年11月11日 19:09
 コメントをお寄せいただきありがとうございました。
 晴れてはいたが風の強い日、安普請の我が家の西側の窓ガラスが風に撓んでおりまして、そこに夕日が映っていたという実景を詠ませていただきました。「くれゆく」は秋の「つるべ落とし」の感が伝わればと思いました。しかし、わかりにくい表現になってしまったようです。(もっともいただいた評にある読みも少なからず期待する気持ちもありました。)
 より一層、詠みの力をつけるべく研鑽に努めてまいります。
Posted by 村上 喬 at 2011年11月23日 18:29

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