この記事へのコメント
「秋はなぜ禾(のぎへん)なのか」・・考えたことがありませんでしたが、素敵な発想ですね。
それに比べて結句の「ガサゴソ」というオノマトペーは落ち葉の踏む音なのでしょうが、ガサツに歩くようにも連想してしまい、上句のロマンティックな感じと合っていないような。
私の好みでは別の柔らかい言葉を持って来たいです。
Posted by 海野雪 at 2011年11月06日 08:25
私も上の句の発想に惹かれました。漢和辞典で調べると,「禾」(作物)を「束」(たばねる)の会意文字,あるいは「禾」(作物)を「火」や太陽で乾かすという意味のようですね。
「ガサコソ(コは濁音ではない)」はオリジナリティのあるオノマトペですが,海野さんのおっしゃるように,「ガ」の濁音がやや乱暴に響くところが惜しく思われます。
Posted by 春野りりん at 2011年11月08日 21:25
>秋はなぜ禾(のぎへん)なのか知りたくてポプラ並木をガサコソ歩く

漢字のなりたちの歌は、私自身も作るし好きなタイプの歌です。

上句の観念的な思いから、下句で具体的な行動をするところが良いと思います。
オノマトペですが「ガサゴソ」か「カサコソ」はよく使いますが「ガサコソ」はあまり聞いたことがなく、作者の工夫が感じられます。
しかし、前評者のおっしゃるように「ガ」の濁音が惜しい気がします。
Posted by 近藤かすみ at 2011年11月09日 00:24
 「ガサコソ」の「ガ」は評判が悪いようですが、ポプラの落ち葉を時おり踏みながら歩く音・様子をイメージした擬音語と擬態語をミックスした表現で、そのままでいいようにおもいます。
 全体がすこし予定調和な感じがするのが、気になるといえば気になります。「知りたくて」あたりは、すこし過剰な感じになっているようにもおもいます。
Posted by 山寺修象 at 2011年11月09日 10:10
「ガサコソ歩く」:わざと自分から落ち葉に踏み込んで行くような愉快さが感じられ、ちょっと乱暴な感じが、日常のなかの小さな探検とでもいった趣を表現しているようです。
「ガサコソ」:通常使われる「ガサゴソ」の方が良いのではないかとも思われます。見慣れない「コ」の字に気を取られてしまいますし、一瞬、誤植か?と思ってしまう危険もあるかと思うので。普通の「ガサゴソ」を使って、一首をすっと読ませるという方法もあるのではないかと思います。もちろん、作者にとってその音が「ガサコソ」に他ならないのだとしたら、「ガサコソ」で押し通すべきですが。
「知りたくて」:「秋はなぜ禾(のぎへん)なのか」だけで、既に知りたいという気持ちは言い表されていると思いますので、ここでまた改めて「知りたくて」と重ねるより、何かほかのことを述べる、例えば「ポプラ並木」の形容を入れるとか、天候に触れるとかする方法もあるのではないでしょうか。
Posted by 大室ゆらぎ at 2011年11月10日 10:39
3句の「知りたくて」が蛇足です。
「秋はなぜ禾(のぎへん)なのか」で2句切れにするべきでしょう。
読み手にはそれでじゅうぶん、作中主体が「秋はなぜ禾(のぎへん)なのか」と
考えながら歩いていることは伝わりますし。

「ガサコソ」というオノマトペは、1首を安っぽくしているように思います。
ここはオノマトペなど用いずに、五・七・七の19音を使って
もっと具体的、個性的な表現でポプラ並木を歩いてほしかったです。
Posted by 伊波虎英 at 2011年11月14日 12:01
「知りたくて」は不要だという意見が多いようですが、本当にそうなのでしょうか。
この歌には「秋はなぜ禾(のぎへん)なのか」という疑問は、ポプラ並木をガサコソと探しながら歩けばその答えを発見できる、という驚くべき作者の思い込みが含まれていると思います。
もし「知りたくて」を無くしてしまうと、そういったニュアンスがすっぽりと消えてしまい、「秋はなぜ禾(のぎへん)なのか」とただ疑問に思っているだけ、ということになってこの歌の魅力が半減してしまうような気がします。
山寺さんが「過剰な感じ」と見たところを、僕はこの歌の魅力として肯定的に受け取っています。
「知りたくて」は必要だというのが個人的な意見です。
Posted by 木嶋章夫 at 2011年11月20日 23:25

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