この記事へのコメント
「水絵」というのは、水彩画のことでしょうか? 自愛と自棄、その両方の気配のする美しいイメージの歌です。読み方を二通り考えてみましたが、どうもはっきりと読み取れないところがあり、そうした曖昧さに難点があるのかとも思います。
T「秋の野に」絵を描きに行って、「描きさしの」一枚を忘れて来た。その絵(わたしの分身)が眠っている光景を思い浮かべている。
U「秋の野に(落ちている、あるいは忘れ去られた?一枚の)描きさしの持主不明の水絵」のように、「わたしは」眠るのだ(意思)、あるいは眠りたい(願望)。
Uの方が近いように思います。この比喩は何を表しているのでしょうか? 現実の私ではない、中途半端な、誰のものでもない、水彩画のように淡く…と言葉を重ねて行くことは出来るのですが、それこそ曖昧な状態で、ということを表しているようにも思われます。曖昧さを表現するために、曖昧な語法を使ったということなのかも知れませんが、水彩画の輪郭をぼかすように意味も朧化されています。それが作品として効果的かというと、読者への伝達という点からするとやや劣るところがあり、自閉的な印象も受けます。(もちろんどちらを選びとるかは作者の判断です。)
いづれにしても幻想の歌であり、そうだとすると、「持主不明の」というのがいささか説明調で字余りでもあり、それが幻想性を減じてしまっているような気がするのですが、いかがでしょうか?
Posted by 大室ゆらぎ at 2011年11月20日 07:18

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