この記事へのコメント
この歌の表現方法二対手ではなく、詠っている内容についての意見です。
動物を殺して作った毛皮がストールやバッグになって、人が身にまとうときその命がはなやくというのが、私にはそうは思えないので抵抗を感じてしまいました。
もしかしたらをれを身にまとった人がとても素敵な人で、ミンクのストールやウサギのバッグを持つとさらに素敵で、毛皮になった動物たちの命も別の輝きを増したように見えると作者は感じたのでしょうか?
Posted by 海野雪 at 2011年11月06日 05:30
海野さんのおっしゃること、とてもよく分かるのですが、作者はそれも分かったうえでこの歌を詠んでいるのだと思う。毛皮が「命華やぐ」と詠んでいるのですけどね、それは皮相的表現と言うべきで、詠み手のねらいは「横取りされた命」というところにあると思う。これ、ちょっとものすごい表現だと思います。毛皮を着ている人は、人間によって横取りされた動物たちの命を身にまとって華やいでいるのだ、と言っているわけで、これ痛烈な批判ですね。この歌、むしろ一句目のものすごい字余りが気になるところで、上句もう少し整理した方がいいかもしれない。
Posted by 田宮ちづ子 at 2011年11月06日 08:14
田宮さんと同様,「横取りされた命」という語に,作者の方の激しい怒りを感じました。なかなかできない表現だと思います。
三句「濃くあはく」がうまく読み解けませんでした。
字余りに,定型に納めきれない憤りをみてとることもできるのですが,たとえば
「アンゴラのバッグミンクのストールに」とすれば,三句まで使ってしまいますが,定型になるのではないでしょうか。
Posted by 春野りりん at 2011年11月08日 20:46
>ミンクのストールうさぎのバッグ濃くあはく横どりされた命はなやぐ

「横どりされた命」という把握を面白いと読みました。思えば牛革のランドセルもバッグも靴も身のまわりのものすべてが、横どりされた命に見えてきます。
人間はそれを「パス」しているわけです。そんなこと言い出したら、肉類も魚も食べられませんね。
濃くあはくは、ストールやバッグの色味に託して、命をささげてくれた動物への意識の濃度差を言いたかったのかと思います。
Posted by 近藤かすみ at 2011年11月16日 18:27

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