この記事へのコメント
時間というものの怖さを感じさせる歌です。「時間」という絶対的なものに対する恐怖は、人間のはかなさ、危うさを思うとき、より強く感じられて、その気持ちを表現しているのだと思います。共感します。
Posted by さとう ひろこ at 2011年11月16日 11:28
一読よくわかる歌です。もし自分が死んだとしても、時計は時を休まず刻むだろうし、ほかの人もそう変わらない生活をするだろうと、作者のちょっと淋しい心情が感じられます。
ただ、「こちこち」は時計の形容として、当たり前すぎる感じがします。
また、この作者は旧かなのようなので、からんどう→がらんだう、だと思います。
Posted by 近藤かすみ at 2011年11月16日 18:11
さとうさん、近藤さん、コメントありがとうございました。ぼやっとした取っ掛かりの無い歌だったなと反省しております。
「がらんどう」の仮名遣いについては、わたしもちょっと迷ったのですが、辞書で確認すると「伽藍堂」の場合は確かに「がらんだう」なんです。その場合は「伽藍神を祭るお堂」なんです。
その他に形容詞・名詞としての「がらんどう」がありまして、その場合の歴史的仮名遣いはそのまま「がらんどう」のようです。この時の「どう」は「洞」になるらしい。空っぽの、と言いたいときはこの「がらんどう」になります。
というわけでよく分からないのですが、この歌の場合は「がらんどう」でいいのではないか、と思う次第です。
Posted by 田宮ちづ子 at 2011年11月21日 07:57

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