この記事へのコメント
万葉調というのでしょうか、おおらかな歌の雰囲気に惹かれました。
万葉集の最初の歌・・雄略天皇が野の草を摘む乙女に声をかける歌を思い出しました。

ここに出てくる天皇は今上天皇ではなく、昭和天皇のようなイメージを持ちました。
勿論今上天皇も同じようなことをなさっていますが。
Posted by 海野雪 at 2011年11月05日 11:37
毎年、葉山の御用邸に天皇ご一家が行かれるのは恒例の年中行事です。そして、葉山の海岸で地元の人々とコミュニケートされるのも恒例のこと。それをテレビのニュースが報道するのも恒例のこと。それをそのまま歌にした、というのはあまりに予定調和的ではないでしょうか。それがどうした、だから何か、ということがどうしても問われてしまうのです。
詠み手の意図は何なのか、というのが気になります。国家安泰、民主的な天皇に対する寿ぎなのでしょうか。
万葉集の「こもよ、みこもち、ふくしもよ」の歌とは次元が異なるのではないかと思います。
それは何なのか、というのが問われるべきではないでしょうか。
Posted by 田宮ちづ子 at 2011年11月06日 06:49
>なつくさの葉山の浜に天皇(すめろぎ)の出でましたまひ子ろにこゑかく

内容にわかりにくいところはありません。天皇関係の歌を作ることは、天皇制にいろいろな思いを持っている人がいるので、勇気の要ることだと思います。

歌については、四句目「出でましたまひ」と尊敬の意が込められているのですが、結句では「子ろにこゑかく」と普通の言い方になっています。天皇だから、すべてに最上級の敬語を使うと歌が長くなりすぎますが、四句目と結句のちがい、考えさせられました。
Posted by 近藤かすみ at 2011年11月06日 09:40
「いでましたまふ」という敬語法が何か変だな、と気になるのですが。実際、こういう言い方をする実例は古文にはあまりないのじゃないのかと思うのです。(ちゃんと調べてないのですが。)
「いでます」というのは奈良時代の古い用法ですから、そこに「たまふ」を接続する例はあまり無いのでは。平安時代にはこの「いでます」は古語になってほとんど使われなくなったので「たまふ」を付ける例はまして存在しない。ここは「いでたまふ」か「いでます」ですっきり行く方がいいかな、と思うところです。
Posted by 田宮ちづ子 at 2011年11月06日 16:57
寡聞にして「なつくさの」が「葉山」に係るという理由がわかりませんでしたが,イメージはうまく合っていて,葉山のご用邸近辺の美しい景色を思い起こさせます。

前評のとおり,私も敬語が気になりました。
たとえば

なつくさの葉山の浜に天皇(すめろぎ)の出でまし子ろにこゑかけたまふ

とすれば,きれいにおさまるのではないでしょうか。
Posted by 春野りりん at 2011年11月08日 19:47
 天皇陛下や皇后陛下の言動について現代の短詩形でどう表現するかに、興味がある。
陛下に対する敬語の使い方は、明治期から敗戦前までの時期を除き、基本的に国民の自主性に委ねられている。こうあらねばならない、という束縛はない。島内景二『楽しみながら学ぶ作歌文法 下』第四章「敬語について」によると、万葉集には、天皇に敬語を用いた歌がかなりある。ところが、平安時代になると、和歌の中から敬語が消滅してゆく。
 今回の作品では、天皇は古来のゆかしい存在であり枕詞や敬語を使うこと、但し、全ての行動に関して敬語を使うと詩が弛んでしまうので避けること という二点に留意した。具体的には、「なつくさの」は、「は」にかかる枕詞。「出でましたまひ」は二重敬語で天皇に対して最大の尊敬を払っていることの表明、但し「こゑかく」では敬語を使用しないで、短歌の勢いを優先した。「子ろ」は上代東国方言で「子ら」に同じ。
以上のような工夫で、万葉時代と変わらぬ現代天皇の行動が感じられれば、というのが私の意図であった。
Posted by 秋田興一郎 at 2011年11月21日 18:02

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