この記事へのコメント
美しい歌で今回もっとも惹かれた歌でした。武庫川の鉄橋を知らないのですが、煉瓦の橋脚を持つ鉄橋でその煉瓦の橋脚が夕べの光をうけてにじんで見える、そこへ折から電車が響きをたてて通り過ぎて行く。なにか映画の一シーンを見るようで型にはまりすぎという気もしないではないが、僕は美しいものが好きなのでやはり良いと思う。上句が視覚で下句で「響き」と聴覚へ転換し、「電車の響き」から電車の姿まで想像させるところ、うまいとも思いますが、聴覚をださずに視覚だけで統一する方法もありかなとも思う。
Posted by 永井秀幸 at 2012年03月07日 17:30
夕照という言葉を見ると、反射的に仙波龍英のこの歌を思い出します。

 夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで

一方、この作品は武庫川鉄橋という地方の風景を切り取っていて、電車の響く音まで聞こえます。また二句目の「煉瓦の脚」がレトロ感を煽り、まったく別の風景を提示しているのに、前出の歌に思いが行ってしまう。
作者は、仙波龍英へのオマージュとして詠んでいるのかもしれないと感じました。
Posted by 近藤かすみ at 2012年03月14日 18:49
夕照という言葉だけでこの歌を仙波龍秀さんへのオマージュとして捉える、というのは少し飛躍がありすぎるのではないでしょうか。この仙波さんの歌は多くの人が取り上げる有名なものですから、不勉強の私もさすがに知っている歌ですが、この歌と33番の歌は状景が全く違うように思う。それだけ、仙波さんの「夕照」の歌のインパクトが強いということですが。
上句は永井さんの述べておられるように、目に沁みるように美しい表現だと思います。武庫川鉄橋も響きも字面もレトロな響きがあって、どんな鉄橋か、目に浮かぶようです。ただ、やはり最後の「電車の響き」というのは、とって付けたような感じがあるように思うのですが。ここは視覚だけですっきりとさせた方がいいと思うのですが、どうでしょうか。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年03月17日 04:48
美しくてノスタルジックな風景ですね。
風景が浮かびます。
特に鉄道ファンにとってはたまりません。
実景として体験するならレンガの脚に夕照がにじむ様子も電車の音も味わいたい。
しかし歌としてはどうでしょうか?
結句の「電車の響き」が体言で来るので主に言いたかったことがこちらのような印象になり、素晴らしい夕照の風景が少し弱くなるような。
ここは抑えて視覚だけにしたらいいような気がします。
電車の音でなく電車のシルエットが入ればいいなと思いましたが、結句7文字だけでは難しいですね。
電車の動詞を入れると歌の印象が崩れます。
作者もいろいろ考えて「電車の響き」にたどり着いたのではと思いました。
Posted by 海野雪 at 2012年03月17日 15:49
夕照に煉瓦の脚がにじみおり武庫川鉄橋電車の響き

検索したところ、まさに「夕照に煉瓦の脚がにじみおり」の画像を見つけました。兵庫県の歴史ある橋なのですね。
私は、電車そのものではなく「電車の響き」と詠んでいるところが面白かったです。その音も含めて、鉄橋の情景なのだろうと思いました。
Posted by 高松 霞 at 2012年03月23日 21:25

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