この記事へのコメント
初句は終止形で切れていますが、「浴ぶる」または「浴びる」と連体形で繋いだ方がいいのではないかと思いました。口語の「浴びる」なら終止形も連体形も同じですが、ここは「浴びる」が適しているように感じます。結句の「思え」は命令形ではなくて「こそ」を受けての係り結びの已然形ですね。それと、「たゆたう」というからには「浜」ではなくて「浜辺」ではないでしょうか。

夜更けの弥生にシャワーを浴びて身体からしずくがたれている、その時に浜辺をたゆたう髪を思うのだ、という歌意と受け取りました。場面の設定は「浜を・・・」を導くのによく合っていると思いますが、「髪」まで言ってしまったのがやや無理があるように思います。浜辺をたゆたう髪、まで言うと、やや不気味な感じもあって、「シャワー・・・」とは微妙にずれるように思いました。
Posted by 斎藤 寛 at 2012年03月18日 05:40
>シャワー浴ぶ夜更けの弥生しずくして浜をたゆたう髪こそ思え

「浴ぶ」「たゆたう」から、文語新仮名の歌でしょうか。斎藤寛さんが書かれたように、わたしも初句は「浴ぶる」と連帯形で次の語へつながる方が、シャワーの水の筋や髪の長さなどにつながって、良いと思います。
また四句も斉藤さんの提案の「浜辺たゆたう」が、「を」で途切れることなく、調べがよくなるように思います。
髪については、しずくする美しい髪が引き出されて、少しばかり王朝女性の雰囲気も出て、よいと思います。
ただ、二句「夜更けの弥生」は時制からは「弥生の夜更け」が順接だと思うのですけれど。気にし過ぎ^^;
Posted by 弘井文子 at 2012年03月18日 15:45
言葉がよくこなれていて完成度の高い歌だと思います。
これは3.11の震災の際に津波で水死された人々を悼む歌ではないかと思ったのですが、そうではなくても、水死者、それも髪の長い女性の死を想う歌ととりました。浜をたゆたう髪、というのは、古来から女の水死を詠む際の表現ですから。
浜と浜辺にはあまり意味の違いはないと思うのですが。水の部分と陸地の部分の境界がいわば<浜>ですから、そこに水死者の髪がたゆたっているというのは理にかなっています。
結句は「髪をこそ思え」と正確にした方が落ち着きがあると思うのですが、先に「浜をたゆたう」というように「を」が使われているので重複を避けるために「髪こそ思え」とされたのでしょうね。でも、ちょっと気になります。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年03月19日 06:05
係り結びの微妙なところはよくわからない、と思うことがあります。この歌も、「髪こそ思え」は「髪思う」(髪を思う、の意)の係り結びであろうと僕は読みました。が、田宮さんがお書きの「髪をこそ思え」だとすると、この位置に「を」を入れた場合は係り結びではなくなって「思え」は命令形になるんじゃないか、という気がします。ただ、僕は「気がします」までしか言えないので、どなたか文法に詳しい方がおられましたらご教示ください。

「髪を思う」なのか「髪を思え」なのかはこの歌を読む時に曖昧にしておいてはいけないポイントだろうと思います。作者の方も、作者名を明かされた後に、その点について作意を記していただけたらと思います。
Posted by 斎藤 寛 at 2012年03月21日 20:14
 「髪思う」というのを正確に言いますと、「作中主体が、髪を思う。」−−−というのが正確な言い方だろうと思います。<を>は格助詞。作者は「を」を省略しています。格助詞は本当は省略しない方がいいのですが、意味が分かるときは省略できます。

「髪を思う」、を係り結びにしますと、<髪をこそ思え>となります。ですから<髪をこそ思え>の<思え>は命令形ではなく、已然形です。
係り結びというのは、いわゆる強調表現なんですね、ですから「こそ」は「髪を」の部分を強調しているのです。

私、見てください!
私をこそ、見てください。!
ーーこのふたつの文、結局、意味は同じです。

Posted by 田宮ちづ子 at 2012年03月22日 05:06
田宮さんのコメント拝見、係り結びについてのご教示ありがとうございました。「を」を入れても係り結びであることには変わりはなくて、「思え」は命令形ではない、ということですね。

それはわかりましたが、その前の田宮さんのコメントで言われていた「水死者を悼む」という歌意であろうというお話、僕は「シャワー・・・」からその思いへつながるゆえんが今ひとつよくのみこめません。冷水の水圧の強いシャワーで苦しかった、そこから水中で苦しい思いをして命を落としたひとに思いが至った、ということでしょうか。「シャワー浴ぶ夜更けの弥生」からは、どうもそうした感じを抱くことができなくて、自愛感の強いフレーズのように、したがって作中主体は若い女性で、艶めいた雰囲気のある上の句なのではないか、と僕は感じました。そこからつながるとしたら、例えば愛の極北としての入水心中のようなかなり特殊な水死者のように思われますが、そうした物語までをこの一首から読み取るのはいささか無理なような気がします。
Posted by 斎藤 寛 at 2012年03月22日 10:41
 この歌の内容から水死者を読み取ったというのではないのですね。
 人麻呂の歌に「わぎもこがねくたれ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞ悲しき」というのがありまして、この歌以来、古典文学などの世界では、水中を漂うゆらゆらとした髪=これは海藻などにも喩えられますが、水死した女性の喩として用いられてきたという伝統があります。「浜をたゆたう髪」から水死者を連想するというのは、いわば文学的伝統と言えます。
この歌がそれを踏まえたものかどうかは分かりませんが。それに、たゆたう髪とはロングヘアーでなければいけませんし、なぜ水の中にその髪がゆらゆらしているかを推理すれば、どうしてもそこに水死のイメージが浮かんでくるようにも思います。
ただ、3.11の大津波による水死者を詠んだものかどうかは分からないですが、一周忌の時期でもあり、また弥生の語が入ってますので、どうしても連想が行ってしまいます。3.11に無関係でももちろん成立している歌だとおもいます。ただ、内容の重さに対して少し美的すぎるかなという気もします。作者はシャワーを浴びて、つまり水を浴びるたびに水死した人々のことを考えてしまう、という心境を表現しておられるのかな、と思ったわけです。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年03月22日 13:28
シャワー浴ぶ夜更けの弥生 しずくして浜をたゆたう髪こそ思え

と二句と三句の間で場面が切れると読みました。
浜は海(湖)の中ではなく水の際の平地を表す言葉と辞書にありました。
「しずくして」とあるから髪は海中ではなく地上にあると解釈しました。

作者は春めいた三月の夜にシャワーを浴びて、浜でその髪がしずくを垂れながら揺れている場面を想像しています。
それは薄い衣をまとって浜を走っているシーンかもしれないし、濡れた身体を恋人に引き寄せられて髪の毛が揺れているシーンかもしれない。
艶めいた春の夜の女性らしい自己陶酔の幻想と読みました。

水死者のイメージとはまったく違うイメージですが、こんな見方もあるということで。
Posted by 海野雪 at 2012年03月22日 16:09
作者の太田賢士朗です。
皆さん、コメントありがとうございます。
とても勉強になりました。

田宮さんが指摘しているように、東日本大震災の水死者を歌いました。

浜は、浜辺と同義だと思っています。波が寄せては引く場所で、塩が満ちると海に没することもある、そうした場所のイメージです。

また、「髪こそ思え」は、係助詞「こそ」+已然形「思え」です。
従って「髪を思う」という意味で使いました。
「を」を省略しているのは、その方が、リズムが良いと感じたからです。ただ、調べてみると、「をこそ」の用例の方が一般的なような気がします。

「こそ思え」が命令形に読めるという斎藤さんの指摘ですが、作歌していて、自分でもこれは命令文のようにも読めるなと感じていました。ただ、意図としては、「髪を思う」です。

ちなみに「しずく」には、滴(しずく)の意味と、「沈(しず)く」、つまり水に沈むという意味があります。
この2つの意味を意識しています。

Posted by 太田賢士朗 at 2012年03月24日 22:37

この記事へのトラックバック