この記事へのコメント
この歌の比喩に関して、別のコメント欄で山寺さんが批判されていますが、私はこの比喩は効いているし、評価できる歌だと思います。それどころか物凄くいいなあ、と思います。
 「こめつぶをひとつぶひとつぶ数えつつ食べる」というのは、喩をこえたリアリティがあって、こんな食べ方をする人はあまりいないとは思いますが、そんな風にして食べる姿がまざまざと見える気がするし、そんな真摯な食べ方をするのは何だろうと思わせるものがあります。そして、そのような感じで、「歩いた」というのでしょう? 「米を食べる」のも「歩く」のも人間の本質そのもので、ちょっと滑稽なほどその本質に向き合って、しこしこ・とぼとぼ食べたり、歩いたりしている、という人間の映像が浮かんできて、魅力のある歌だと思いました。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年03月08日 05:23
想像するに大病をされた、あるいは大怪我をされた、手術をされたというような日々の後、「試歩」というのでしょうか、一歩一歩ゆっくりゆっくり歩き始めたリハビリの最初の頃を詠まれた歌だろうかと思いました。「こめつぶを……たべるように」はよくわかる比喩です。日頃は何も思わず食べているご飯も、流動食からようやくご飯に移行したような時はこんな感じでしょう。僕も時に足をいためてこんなふうに歩くことがありますので、共感して読みました。あるいは一首全体が暗喩だ(その中にさらに直喩が入っている)という読み方もできそうですが、それならそれでわかる歌だと思います。
Posted by 斎藤 寛 at 2012年03月08日 20:13
その食べ方は僕にはあまり美味しそうに感じられない。数えることに夢中で味なんぞ覚えていないだろう。そのように歩くということは一歩一歩を大切にして歩くが、道ばたの風景は目に入らなかっただろうな、と勝手に想像する。

歌そのものは僕は高評価したい。歩くことにこれだけの形容をすることに感心した。
Posted by 伊庭日出樹 at 2012年03月08日 22:21
何か初心に返るような、真摯な気持ちが表れていて好きな歌です。斎藤さんの解釈にもなるほどそうかもしれないとおもいました。自分に引き付けて言うと、「これからは、素朴に丁寧に暮らしたいなあ」と思っているので、田宮さんが書いておられることにとても共感しました。「ひとつぶひとつぶかぞえつつご飯を食べる」というのは、大事に味わいながら食べるということで、「ように歩いた」というのは一歩一歩周りの景色も丁寧に味わいながら歩いたということだと思います。伊庭さんの解釈に驚きましたが、自分が思い入れで解釈しすぎる傾向にも気づかされました。
Posted by さとう ひろこ at 2012年03月09日 23:56
斎藤さんの評に共感しながら読みました。
できなくなってしまったことが再びできるようになって,どんなことも当たり前ではないことが実感としてわかり,見えていなかったものが見えるようになるということは確かにありますよね。
ひらがなの多用により,一歩ずつふみしめてゆっくり歩く様子がよく伝わってきます。
Posted by 春野りりん at 2012年03月12日 10:17
コメントをどうもありがとうございました。ネット歌会初参加だったので、どきどきでした。この歌は、実はひたすらとぼとぼとぼとぼした気分の歌でした。けれど、読み手の方の感性によって、肯定的な歌にも取れるんだなあと、とても勉強になりました。
Posted by 鈴木杏龍 at 2012年03月27日 22:38

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