2012年03月01日

第9回ネット歌会詠草/25

俯きて刺し子縫ひゐる老い妻の静かなるさま苦界のごとし
posted by 短歌人会 at 00:15| Comment(3) | TrackBack(0) | 第9回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
刺し子って、結構楽しいのです。私もお気に入りのズボンの膝が薄くなったりすると当て布をしてチクチクと刺し子で補強したりすることもありますけど、きれいに仕上がると「やったあ」という満足があります。でも、本来の刺し子は、布地が貴重だった貧しい時代に生まれた生活の知恵だったのでしょうけどね。
この歌、老境の入った夫婦の感覚が出ていて、味わいのある歌だなと思います。老妻がちくちくと刺し子をしている。それを見て、ご主人は、妻に苦労を掛けてるのかなと思ってしまうわけでしょう。「苦界のごとし」と言ってるので、本当は苦界ではない。妻にはそんな苦労はかけていない、と言う夫の気持ちが表されているようです。言葉と内容に過不足がなく、うまく表現されていると思います。刺し子は「縫う」ではなく「刺す」ではなかったかと思うのですが。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年03月08日 06:19
>俯きて刺し子縫ひゐる老い妻の静かなるさま苦界のごとし

現世は苦界のようなもの、と言うような仏教思想からでしょうか。かと言って、田宮ちず子さんが書かれているように実際「妻」がそれほど苦労をしているわけではないでしょう。
縫物をするとき、どうしても背中がやや丸まって、肩にも力が入るので、縫物をしない人から見れば、苦行のように見えるかもしれません。縫い終わって、肩や背中をのばして、「あぁ肩がこった。眼がつかれた」なんて言うわけで、見てゐるひとは「そんなに大変なことをしなくても良いのに」なんて思うんでしょうけれど、縫っている本人は楽しい訳です。
田宮ちづ子さんご指摘の「刺す」は「刺し子」ですから、刺す、でしょう。
四句「静かなるさま」、背中や肩、指の描写などにされると、生身の「妻」の存在感が増す気もするのですが、「静か」と「苦界」があわさると、仏像の雰囲気もあり、どちらとも決め難い。
Posted by 弘井文子 at 2012年03月18日 14:51
私も、偕老のご夫妻の1シーンがしみじみと伝わり、味わいのある歌と思います。ただ、「静かなるさま」と「苦界のごとし」が、どうしてもピンときません。突き詰めると、結句を再考されたほうがよいかと思いました。「刺し子」現在進行中は、「縫う」「刺す」どちらなのでしょうか。「する」でもいいような気がしますが、答えを知りたいです。
Posted by 岡悠束 at 2012年03月18日 16:01

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