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2012年03月01日
第9回ネット歌会詠草/15
<夏の雲公園>歩く夕暮れのあなたの影に感じてる四季
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posted by 短歌人会 at 00:25|
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この記事へのコメント
<夏の雲公園>という固有名詞の爽やかさが効いていて、二句目以降もその名詞の効果を邪魔しない流れになっていると思います。
影の濃淡や長短に四季を感じる感性がいいなと思うため、結句の「感じてる」という口語の幼い印象が惜しいなと思いました。逆に若さを感じられるとも取れるのかもしれないですが。
Posted by 高澤志帆 at 2012年03月07日 23:28
<夏の雲公園>ってとても素敵な名前だなぁと思って調べたら実在するんですね。知りませんでした。上記の方のコメントと同様にこのフレーズを頭に持ってきて全体に心地よさが広がる爽やかな作品に魅力を感じました。
ただ、私的には結句の「感じている四季」の部分がやや大雑把な言い切りに思えて少し惜しい気がします。
Posted by 照井 夕佳詩 at 2012年03月17日 09:18
固有名詞の力強さと、ほんわかと暖かそうな二人が散歩している様子。詩情あふれる作品ですね。
Posted by 伊庭日出樹 at 2012年03月18日 08:40
自然詠大切派でべたリアリズム派の僕としては照井さんの<夏の雲公園>は実在するとの上記コメントにも後押しされてこの歌への好感度が増した思いです。
「影の濃淡や長短に四季を感じる感性がいい」との高澤さんの意見にもまったく同感、このような感性がどんどん失われて行くように最近とみに感じているので、この感性大切にしていってほしいと思います。「感じてる」については「い」抜きの言い方に慣れてしまったせいか、わりあい自然に受け入れられるようになっていて、これはいいことなのか良くないことなのか自分でも分からなくなっています。
Posted by 永井秀幸 at 2012年03月20日 17:21
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