この記事へのコメント
「ゲシュタルト崩壊」とは厄介なもので、文字が線の集合体にしか見えなくなるのだ。たとえば「益」という次は苦虫をかみつぶしたような顔に見えてきたらもう「ます」にはしばらく戻らない。

「私」が「わたくし」を主張するあまりにその文字が持つ力が薄れてしまう瞬間を歌った歌。共感できる歌である。
Posted by 伊庭日出樹 at 2012年03月06日 20:02
一読して、硬質でスタイリッシュ、そしてメッセージを込めた歌、というイメージが伝わりました。しかし、「ゲシュタルト崩壊」に「きざす」という動詞は要らなかったと思います。
Posted by 岡田悠束 at 2012年03月21日 00:06
後の方の「私」は「し」と読むのですよね。「私有地」の「私」は、当然「し」と読むわけですが、「私」だけだと、つい「わたし」あるいは「わたくし」と読んでしまいそうになり、あとから音数を考えて、やはりここは「し」と読むのかなと後戻りして読み直すような感じです。
「一文字」は、「ひともじ」でしょうか? それとも「いちもじ」? 
四句「『私有地につき…』の」は8音なのですが、「…」があるために、さらに妙な間が出来、「…」の部分が見詰めている時間の長さを表しているようにも感じられます。声に出して読むというよりは、視覚的な作りの歌です。作中主体である「私」の解体を重ねて読むことも出来るように作られており、面白い歌だと思いました。
Posted by 大室ゆらぎ at 2012年03月21日 19:46
作中主体は積極的にゲシュタルト崩壊を起こそうとしているのですよね。しかも「私」という文字で起こそうとしている。
ここでは作中主体の自己破壊願望のようなものが読みとれるのではないでしょうか。
そういった願望があるものの、実際に自分の体に傷をつけたりといった自暴自棄なことをする気はない、あるいは出来ない。
その代わりに観念的ではあるのですが、「私」という文字でゲシュタルト崩壊を起こそうとするのですね。
面白い歌だと思いました。
Posted by 木嶋章夫 at 2012年03月22日 18:18
この歌を理解したくて、私も「私有地につき・・」の「私」の字をジッと見つめて、この後の文言は何だったのかを考えてみました。例えばこれまで共有のスペースと思ってみんなで利用していたちょっとした通路とか空地とかを、ある個人が所有権を主張して「他人は利用するべからず」と立札をたてた。このような場合に、ショックで茫然となり、「私」の字に釘付けになり、ゲシュタルト崩壊きざすまで憤りが湧いたのではないでしょうか。私にはゲシュタルトが小さな地域関係のように思えるのですが、見当違いでしょうか?
Posted by さとう ひろこ at 2012年03月23日 22:44
 木嶋さんの、「私」という文字の知覚を、構成要素に還元することによってゲシュタルト崩壊を試みることは、作者の「自己破壊」願望の表れであるという解釈、興味深く読ませていただきました。
 また、さとうさんの共有から「私有」への恣意的な変化への感情的な反発がゲシュタルト崩壊をもたらしたのではという読みにも共感します。
 或いは、ちょっとした遊びのようにゲシュタルト崩壊を試すことがゲームのようになされることもある様ですから、通りすがりにたまたま見かけた看板の文字で、それを試しているとも読めます。
 解釈がひろがる面白い歌だと思いました。
 因みにゲシュタルト崩壊しやすい文字というのもあるそうで、その一例が「借」だそうです。
Posted by 村上 喬 at 2012年03月24日 11:09
村上さんのコメントを読めば私の補足は要らないので取り消してください。
Posted by さとう ひろこ at 2012年03月24日 14:14

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