スマートフォン専用ページを表示
短歌人ネット歌会場
短歌人会の公式なネット歌会会場です。
閲覧はどなたさまもできますが、出詠およびコメントは短歌人のメンバーのみに限定させて戴きます。
<<
第9回ネット歌会詠草/14
|
TOP
|
第9回ネット歌会詠草/12
>>
2012年03月01日
第9回ネット歌会詠草/13
ゲシュタルト崩壊きざすまで見詰む「私有地につき・・・」の「私」の一文字を
【関連する記事】
第9回短歌人ネット歌会作者名発表
第9回ネット歌会詠草提出者一覧
第9回ネット歌会詠草一覧
第9回ネット歌会詠草/1
第9回ネット歌会詠草/2
第9回ネット歌会詠草/3
第9回ネット歌会詠草/4
第9回ネット歌会詠草/5
第9回ネット歌会詠草/6
第9回ネット歌会詠草/7
第9回ネット歌会詠草/8
第9回ネット歌会詠草/9
第9回ネット歌会詠草/10
第9回ネット歌会詠草/11
第9回ネット歌会詠草/12
第9回ネット歌会詠草/14
第9回ネット歌会詠草/15
第9回ネット歌会詠草/16
第9回ネット歌会詠草/17
第9回ネット歌会詠草/18
posted by 短歌人会 at 00:27|
Comment(7)
|
TrackBack(0)
|
第9回歌会
|
|
この記事へのコメント
「ゲシュタルト崩壊」とは厄介なもので、文字が線の集合体にしか見えなくなるのだ。たとえば「益」という次は苦虫をかみつぶしたような顔に見えてきたらもう「ます」にはしばらく戻らない。
「私」が「わたくし」を主張するあまりにその文字が持つ力が薄れてしまう瞬間を歌った歌。共感できる歌である。
Posted by 伊庭日出樹 at 2012年03月06日 20:02
一読して、硬質でスタイリッシュ、そしてメッセージを込めた歌、というイメージが伝わりました。しかし、「ゲシュタルト崩壊」に「きざす」という動詞は要らなかったと思います。
Posted by 岡田悠束 at 2012年03月21日 00:06
後の方の「私」は「し」と読むのですよね。「私有地」の「私」は、当然「し」と読むわけですが、「私」だけだと、つい「わたし」あるいは「わたくし」と読んでしまいそうになり、あとから音数を考えて、やはりここは「し」と読むのかなと後戻りして読み直すような感じです。
「一文字」は、「ひともじ」でしょうか? それとも「いちもじ」?
四句「『私有地につき…』の」は8音なのですが、「…」があるために、さらに妙な間が出来、「…」の部分が見詰めている時間の長さを表しているようにも感じられます。声に出して読むというよりは、視覚的な作りの歌です。作中主体である「私」の解体を重ねて読むことも出来るように作られており、面白い歌だと思いました。
Posted by 大室ゆらぎ at 2012年03月21日 19:46
作中主体は積極的にゲシュタルト崩壊を起こそうとしているのですよね。しかも「私」という文字で起こそうとしている。
ここでは作中主体の自己破壊願望のようなものが読みとれるのではないでしょうか。
そういった願望があるものの、実際に自分の体に傷をつけたりといった自暴自棄なことをする気はない、あるいは出来ない。
その代わりに観念的ではあるのですが、「私」という文字でゲシュタルト崩壊を起こそうとするのですね。
面白い歌だと思いました。
Posted by 木嶋章夫 at 2012年03月22日 18:18
この歌を理解したくて、私も「私有地につき・・」の「私」の字をジッと見つめて、この後の文言は何だったのかを考えてみました。例えばこれまで共有のスペースと思ってみんなで利用していたちょっとした通路とか空地とかを、ある個人が所有権を主張して「他人は利用するべからず」と立札をたてた。このような場合に、ショックで茫然となり、「私」の字に釘付けになり、ゲシュタルト崩壊きざすまで憤りが湧いたのではないでしょうか。私にはゲシュタルトが小さな地域関係のように思えるのですが、見当違いでしょうか?
Posted by さとう ひろこ at 2012年03月23日 22:44
木嶋さんの、「私」という文字の知覚を、構成要素に還元することによってゲシュタルト崩壊を試みることは、作者の「自己破壊」願望の表れであるという解釈、興味深く読ませていただきました。
また、さとうさんの共有から「私有」への恣意的な変化への感情的な反発がゲシュタルト崩壊をもたらしたのではという読みにも共感します。
或いは、ちょっとした遊びのようにゲシュタルト崩壊を試すことがゲームのようになされることもある様ですから、通りすがりにたまたま見かけた看板の文字で、それを試しているとも読めます。
解釈がひろがる面白い歌だと思いました。
因みにゲシュタルト崩壊しやすい文字というのもあるそうで、その一例が「借」だそうです。
Posted by 村上 喬 at 2012年03月24日 11:09
村上さんのコメントを読めば私の補足は要らないので取り消してください。
Posted by さとう ひろこ at 2012年03月24日 14:14
この記事へのトラックバック
検索
<<
2024年03月
>>
日
月
火
水
木
金
土
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
最近のコメント
第52回ネット歌会詠草/5
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 大野奈美江 (02/27)
⇒ 亀尾美香 (02/25)
⇒ 寺阪誠記 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/4
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 寺阪誠記 (02/25)
⇒ 光本博 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/3
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 大野奈美江 (02/27)
⇒ 鎌田章子 (02/24)
第52回ネット歌会詠草/2
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 馬淵のり子 (02/23)
第52回ネット歌会詠草/1
⇒ 野崎挽生 (03/08)
⇒ 加藤隆枝 (02/27)
⇒ 大野奈美江 (02/24)
⇒ 光本博 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/20
⇒ 清水 紀久子 (03/08)
⇒ 堀部明兎 (03/02)
第52回ネット歌会詠草/15
⇒ 寺阪誠記 (03/07)
⇒ 大野奈美江 (02/23)
⇒ 堀部明兎 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/19
⇒ 堀部明兎 (03/02)
⇒ 加藤隆枝 (02/27)
⇒ 馬淵のり子 (02/23)
第52回ネット歌会詠草/12
⇒ 堀部明兎 (03/02)
⇒ 花澤孝 (02/26)
⇒ 亀尾美香 (02/25)
⇒ 伊藤まり (02/25)
⇒ 光本博 (02/22)
第52回ネット歌会詠草/8
⇒ 堀部明兎 (03/01)
⇒ 大野奈美江 (02/25)
⇒ 鎌田章子 (02/24)
最近の記事
(01/01)
短歌人ネット歌会のお知らせ
(03/19)
第52回短歌人ネット歌会作者名発表
(02/17)
第52回ネット歌会参加者一覧
(02/17)
第52回短歌人ネット歌会詠草一覧
カテゴリ
日記
(0)
歌会告知
(6)
第1回歌会
(40)
お知らせ
(4)
第2回歌会
(32)
第3回歌会
(40)
第4回歌会
(48)
第5回歌会
(32)
第6回歌会
(33)
第7回歌会
(38)
第8回歌会
(35)
第9回歌会
(43)
第10回歌会
(36)
第11回歌会
(31)
第12回歌会
(31)
第13回歌会
(34)
第14回歌会
(32)
第15回歌会
(32)
第16回歌会
(30)
第17回歌会
(33)
過去ログ
2025年01月
(1)
2024年03月
(1)
2024年02月
(23)
2023年09月
(1)
2023年08月
(18)
2023年07月
(1)
2023年03月
(1)
2023年02月
(27)
2023年01月
(1)
2022年09月
(1)
2022年08月
(22)
2022年07月
(1)
2022年03月
(1)
2022年02月
(28)
2022年01月
(1)
2021年12月
(1)
2021年11月
(27)
2021年09月
(1)
2021年08月
(24)
2021年07月
(1)
「私」が「わたくし」を主張するあまりにその文字が持つ力が薄れてしまう瞬間を歌った歌。共感できる歌である。
「一文字」は、「ひともじ」でしょうか? それとも「いちもじ」?
四句「『私有地につき…』の」は8音なのですが、「…」があるために、さらに妙な間が出来、「…」の部分が見詰めている時間の長さを表しているようにも感じられます。声に出して読むというよりは、視覚的な作りの歌です。作中主体である「私」の解体を重ねて読むことも出来るように作られており、面白い歌だと思いました。
ここでは作中主体の自己破壊願望のようなものが読みとれるのではないでしょうか。
そういった願望があるものの、実際に自分の体に傷をつけたりといった自暴自棄なことをする気はない、あるいは出来ない。
その代わりに観念的ではあるのですが、「私」という文字でゲシュタルト崩壊を起こそうとするのですね。
面白い歌だと思いました。
また、さとうさんの共有から「私有」への恣意的な変化への感情的な反発がゲシュタルト崩壊をもたらしたのではという読みにも共感します。
或いは、ちょっとした遊びのようにゲシュタルト崩壊を試すことがゲームのようになされることもある様ですから、通りすがりにたまたま見かけた看板の文字で、それを試しているとも読めます。
解釈がひろがる面白い歌だと思いました。
因みにゲシュタルト崩壊しやすい文字というのもあるそうで、その一例が「借」だそうです。