この記事へのコメント
評の手前の話ですが、最初に読んだ時に、「ぼり来る」は「のぼり来る」ではないかと思ったのですが、作者の方は訂正を入れられなかったようなので「?」と思っています。
Posted by 斎藤 寛 at 2012年03月08日 20:16
無意識に「のぼり来る」と「の」を足して読んでいました。
多分「のぼり来る」だろうとして評を書きます。
雪の朝に坂を登校してくる児童の傘がいろいろに動いている子供ならではの情景を詠っているのですが。。
上句と下句がそれぞれ動詞の終止形で終っており一字空けで、一つの情景を詠っているのに二つに分離されてしまっている感じがします。
違う言葉を使ってつなぐことが出来るのでは。
Posted by 海野雪 at 2012年03月09日 20:08
一読、小池さんの「雪に傘、あはれむやみにあかるくて生きて負ふ苦をわれはうたがふ」を思い出してしまいました。
やはり、「ぼり来る」は「のぼり来る」のことでしょう。雪の朝(に)学童(が)坂をのぼり・・・ということなのに、助詞が省略されていると読みました。それとも「学童坂」という坂があるのかもしれません。
Posted by 近藤かすみ at 2012年03月09日 23:22
「ぼり来る」は「のぼり来る」であろうという前提で読むなら、かすみさんが言われている小池さんの一首とは相当にモードが違う歌で、スナップ写真のような感じだろうか、と思いました。本場の雪国なら、雪に傘は使わない(といつぞやの「日めくり万葉集」で楊逸さんが言われていました)そうですが、それならこの坂は東京のようにめったに雪が降らない地にあって、珍しく雪になった朝なのだろうか(雪国なら「雪の朝」はあたりまえなのでこのように言葉にはしないだろう、とも思われます)、とすれば学童たちにとっても雪は珍しく嬉しいものだろう、したがって傘の「入り乱れおり」は嬉しさによって雨の日よりも傘がさまざまに動いているということだろうか、というようにも想像されます。が、この一首は内容はスナップ写真風の歌で、むしろ、「あさ」「さか」「かさ」というしりとりのような音の連なり、そして「いろいろ入り」の「い」音の連続、のような音を楽しむべき作品なのではないかとも思いました。
Posted by 斎藤 寛 at 2012年03月14日 06:48
自然詠推進派の僕としては気持ちよく読んだ歌です。しかし「傘のいろいろ」は斎藤さんのように「い」音の連続の面白みが有るという見方もできるでしょうが、ちょっと大雑把な言い方に思われ、ここにもうひと工夫が有ればと思いました。
Posted by 永井秀幸 at 2012年03月20日 16:58
「雪の朝」と限定しているのは、斎藤さんが指摘されているように、降雪が日常ではない地方の朝の様子ですね。
そしてそれを登校途中の学童が喜びながら、坂をのぼって来る光景なのでしょうが、結句「入り乱れおり」だけでは雪を喜ぶ子供たちの様は描ききれていないと思います。たとえば「嬉々と乱れる」とか「はしゃぎ乱れる」とか・・・
初句「雨の朝」としても一首が成り立ってしまうのではと思うのです。
Posted by 庭野 摩里 at 2012年03月22日 19:50
雪の朝学童坂をぼり来る 傘のいろいろ入り乱れおり

一読、小学生が楽しげに、また真面目に、またはふざけ合いながら、
ぐんぐん上ってくる様子が浮かびました。
ただ、「いろいろ」が前評の永井さんと同じく、ぬるい表現と思えてしまって・・・
ここは物足らなさを感じました。

雪の白の中に、カラフルな「色」と「色」が入り乱れている面白さを出したかったのであれば、
この「いろいろ」は逆効果で、もったいない気がしました。
Posted by 梶崎恭子 at 2012年03月22日 21:22

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