この記事へのコメント
『Auld Lang Syne』は遠く日本の地で別れの場面には欠かせない歌となった。しかしあの歌は原語でも「再会」を前提にした別れだと思う。薬師丸ひろ子『セーラー服と機関銃』、来生たかお『夢の途中』の冒頭もそうだ。

このシャッターは次の日また開くのだろうか。それとも二度と開かないのだろうか。歌を通してそういう不安が伝わってくる。
Posted by 伊庭日出樹 at 2012年03月06日 20:06
その場の情景がありありと浮かび、音楽や音が聞こえるようなのは、シャッターの下りる速度とメロディーが合うからでしょうか。また伊庭さんがおっしゃるような不安感が湧くのも、長い間の別れの曲としての刷り込みと同時に、3・11のあまりにたくさんの悲しみに遭遇したからではないでしょうか。それ以前は明日またシャッターが開くことをうたがうこともありませんでした。1首の中に無駄がなく、「シャッターは歌う『蛍の光』」の表現で余情が生まれたと思います
Posted by さとう ひろこ at 2012年03月07日 16:32
夜警ひとりという設定から、日常的に行われている閉店の様子かと思いました。下句、実際には録音された音楽が流れているのに、シャッターは歌う・・・としたのが面白い。
Posted by 近藤かすみ at 2012年03月09日 18:42
印象に強く残る歌です。
都心の、でもほぼ人影のない光景です。ビルの谷間の・・・
昼と夜の人口がまったく違うような場所でしょうか・・・?

現在の、都会の寒々とした光景であろうと、思うのにどこか「近未来」の、
人口がひどく減ってしまった日本の都会の光景のようにも、感じられてきて・・・
不思議な、異質感を感じます。

二句、三句、四句が効いていると思います。
結句は「蛍の光」が暗喩であると思います・・・ただ、これは別なメロディーでも、
それぞれに怖い気がして、それもありではないかと思えます。
Posted by 梶崎恭子 at 2012年03月15日 22:51

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