2012年03月01日

第9回ネット歌会詠草/5

如月をアイスピックでかち割って生まれたばかりの春を掻き出す
posted by 短歌人会 at 00:35| Comment(7) | TrackBack(0) | 第9回歌会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
春が来るのをそっと待っているのではなくアイスピックでかち割って掻き出すと・・無理に春にしてしまおうという激しい表現に強い印象を持ちました。
この衝動はどこから生まれたのだろうと思いました。
無理やりにでも春を引っ張り出したいほど作中主体の心の中は悲しみか怒りが満ちているのだろうか。
Posted by 海野雪 at 2012年03月07日 20:25
「かち割って」「掻き出す」と言う言葉から、わたしは怒りを感じました。そしてその怒りに少しばかりたじろいでいます。
「如月」や「春」と言う、一般的にはやわらかな言葉との取り合わせが、成功しているのかどうか、分からないでいます。
Posted by 弘井文子 at 2012年03月08日 18:25
私も何やら不穏なものを感じました。春の花のつぼみを無理やりこじあけるような感じです。こわい歌だと思います。
Posted by 近藤かすみ at 2012年03月09日 18:33
私は、春が待ちきれない若々しい感情の表現された作品ではないかと思いました。
今年の関東は特に寒さが厳しく、なかなか春の訪れを実感できなく、もどかしく感じています。それでも陽射しはすこしづつ力強くなり、氷を割るとキラキラと輝く・・・そんな場面を思い浮かべました。
Posted by 三田村まどか at 2012年03月18日 11:14
 前評者三人のご意見を読んで少し意外な感じを受けました。この歌にそのような激しい怒りや怖さを私は感じませんでしたから。
 それよりは、如月と春という二つの比喩を使っているのが歌を曖昧にしているように思います。「如月をかち割って春を掻き出す」というのは観念的で少々作り事めいた印象を受けるように思うのです。如月と言うのは氷の比喩でしょうから、ここは比喩にしないでずばり「氷をアイスピックでかち割る」とした方がリアリティがでるのでは。比喩というのはできるだけ、映像として目に見えるような感じにした方が効果があるように思うのです。
 氷をアイスピックで、これは家庭用ですね、割って、氷のかけらを掻き出す、というのはかなり日常的なことですから、ここに怒りを感じる必要はないように思う。主体は掻き出した氷の中に生まれたばかりのかすかな春の気配を感じているのだと思います。氷を手にしているのでしょうか、春というのは、酷寒の氷の中からかすかに生まれるのだという作者の発見があるように思うのです。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年03月18日 12:53
如月の北海道ならば、一面氷の地域もあって、実際にはアイスピックのような小さな道具では路上や路傍の氷を取り除くことができません。氷を割る専門の道具(http://item.rakuten.co.jp/pro-nakashin/10001827/#10001827)で割ります。
カクテルを作るときのようなアイスピックで割れる程度の氷ならば、放っておいてももうすぐ春です。

たとえアイスピックでかきだせたとしても、その「生まれたばかりの春」はシャボン玉のようにはかなく死に絶えるような気がします。えぐり出すような、不気味さを持った歌だと思います。
Posted by 伊庭日出樹 at 2012年03月19日 17:48
あのね、伊庭さんのコメント読んで、なんとなく感じたことなんですが。例が極端で恐縮なんですけど、「掻き出す」という言葉から人工妊娠中絶の「掻破」という言葉が浮かんできまして、これも生まれたばかりの命を「掻き出す」という意味でしょう。ちょっと連想が繋がってくるなあ、と思い至ったのです。皆さんが「不気味」とおっしゃるのもこの「掻き出す」に原因があるのかなあ、と。
この言葉、別の表現に変えられた方が、作者の意図がよく伝わるのではないかと思った次第です。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年03月19日 18:32

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