この記事へのコメント
「琅かん忌の主」(※コメント欄では<かん>の字が文字化けしてしまうようなので、ひらがなですみません)とは、『琅かん忌』という歌集のある、昨年お亡くなりになられた石田比呂志氏のことかなと推測しました。
上の句はその主に抱かれた犬の心の声と取り、作者個人の思い出などの感情は節度を持って排した追悼の歌だと思いました。
全くの見当違いかもしれませんので、琅かん忌についてご教示いただければと思います。
Posted by 高澤志帆 at 2012年03月09日 00:01
多分、石田比呂志氏への追悼歌なんでしょうね。つい最近一周忌法要があったそうですから、それにちなんだものでしょうか。

思うに、石田比呂志ほど大勢の短歌仲間やお弟子さんたちに愛された人はないように思う。皆さん、彼との交流がどのようなものであったかを切々とその死後語り続けておられる。その声が「怒鳴られた」「抱っこされた」「怖かった」になるのでしょうか。これは<犬>の心情に託された人々の思い出の言葉でしょうか。
「俺は怒鳴られた」ーーよく怒鳴る人だった。
「私は抱っこされた」−−当然、女性に限る。
「私は怖かった」ーー無頼派だった。
この歌、ユニークな工夫のある歌だと思います。でも、一首の中の要素が多くて、少し窮屈な感じもしますが(「犬抱き笑まふ」のところも)、なかなか面白い歌だと思います。

Posted by 田宮ちづ子 at 2012年03月09日 12:46
先ごろ、熊本近代文学館で催された石田比呂志氏一周忌の琅かん忌の集いに参加しての歌です。氏に縁のあった方たちが遠くからも駆けつけて、こもごもに語られるエピソードは面白く、露悪的でもありましたが、温かいものに満ちていました。つい先日、熊本では安永蕗子氏も亡くなられました。こちらも才能とカリスマ性で多くの人を虜にした方ですが、あらゆる面で対象的だった二人の歌人を身近に観察できたことは(生前の石田氏との接点は少なかった)僥倖だったと思います。
Posted by sさとう ひろこ at 2012年03月26日 15:08
ずいぶんと昔になりますが、熊本へ遊びに行きました折、石田さんのお宅を訪ねたことがありまして。石田さんの歌が大好きだったので。
その日は手料理でご馳走して下さった。「さあ、飲め。さあ、食え」という感じで。
一周忌の際の遺影が「犬抱き笑まう」だったのでしょうか。その犬ともその時対面いたしました。大型の穏やかないい犬でした。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年03月26日 20:10
特別祭壇が設けられていたわけではありませんが、石田氏追悼の展示コーナーに写真や原稿や書簡などがたくさん並んでる中で、まだ幼い犬を抱いて嬉しそうに映っておられる石田氏の姿が印象的で、私の中ではその写真が遺影に思われたのです。皆さんの話される強面の石田さんとのギャップがいいと思いました。
Posted by さとう ひろこ at 2012年03月27日 15:07

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