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>草原に火は放たれて風起きぬ生き物のごと阿蘇の野が燃ゆ

阿蘇の草千里の野焼きの情景でしょう。草千里はまことに広々として雄大な場所で、そこに火を放ち、草を焼く様、一度見てみたいものです。
草原に火が放たれ燃え広がる時、熱による上昇気流で風が起こると聞いたことがありますけれど、その様子を「生き物のごと」と表現されており、惹きつけられます。やや、既視感はあるかもしれませんので、しいて言えばこの辺りを炎の描写にするという方法もあるかもしれませんので、迷うところではあります。
言葉の選択も、「火は」の「は」、「放たれて」、「起きぬ」、「野が」の「が」、「燃ゆ」と歯切れよく断定口調で、情景の雄大さを思わせることに預かっていると思います。
Posted by 弘井文子 at 2012年05月06日 09:46
良い歌と思いました。「風起きぬ」の具体を出したところが特に良いと思いました。言葉の歯切れが良いというのも前評、弘井さんと同じ感想です。ただ「生き物のごと」がもうひとつ僕にはぴったり入ってきませんでした。
Posted by 永井秀幸 at 2012年05月07日 17:23
草原に火は放たれて風起きぬ生き物のごと阿蘇の野が燃ゆ

草千里の雄大な野焼きの光景が詠まれていて、惹かれました。

ひとつだけ気になったのは、前評の永井さんのコメントと同じく四句「生き物のごと」です。
炎が生き物のようにくねった・・・というような表現なら、共感できるのですが。
生き物のように燃える・・・これだと、「生き物」という比喩が漠然としすぎて、
活きてこないように感じました。
Posted by 梶崎恭子 at 2012年05月11日 23:51
「生き物のごと」で、炎が生き物のようにくねって燃える、と思われますので、梶崎さんの評のように、そこまで厳密に叙述する必要もないかと思います。短い字数での表現ですから、おのずから省略もある訳で。
Posted by 弘井文子 at 2012年05月12日 22:06
とてもとても上手い歌だと思いました。

野焼き、野火は初春の季語ですから「生き物のごと」という表現をしたのは生命が芽吹く時期という意味でも正解だと思いますし、実際、本当に生き物のようだったのでしょう。短歌だから出来る表現です。
火事などに遭遇したときのことを思い出しても、炎は確かに生きて、意思があるようでした。

一度は見てみたい、あこがれの情景です。
火は放たれて! 風起きぬ! 生き物のごと! 燃ゆ! とたたみかけているところにも、野焼の壮大なロマンがあると思います。
Posted by 高松 霞 at 2012年05月22日 15:04
コメントありがとうございました。「日本書紀」にも遠くまで見渡せる阿蘇の草原の記録があるそうで、千年以上も昔から野焼きが行われ美しい草原が保たれてきたのです。観光でこられた方には草千里が印象的なようですが、カルデラ(ポルトガル語で大鍋の意)の外輪山の外側にも広大な草原が広がり、毎年春先にあちこちで野焼きの煙が上がります。遠くからはのどかな風景ですが、近くでは大変迫力があり、危険な作業でもあります。本日の地元紙によると、阿蘇地区(八市町村)の牧野組合にアンケートを取ったところ10年後は野焼きは無理という答えが過半数だったそうです。高齢化による人手不足が深刻でボランティアが参加しても焼け石に水ということです。野焼きをしないで放置されたところは灌木が生い茂り藪化してしまい、ここ10年でも美しい草原が減っているのを実感しています。福島辺りから移住してもらい阿蘇の畜産農家を増やすことはできないものでしょうか・・・。
Posted by さとう ひろこ at 2012年05月26日 14:54

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