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2012年05月05日
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地図からは消えてしまつた<二つ井戸>もう夏だものわたしは涸れた
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この記事へのコメント
昔は<二つ井戸>という地名があったのに、なんらかの事情でなくなったのでしょう。二つ井戸は、曰く因縁のありそうな名前です。下句に作者の脱力を感じました。「もう夏だもの」「わたしは涸れた」の語順はこれでいいのでしょうか。入れ替えても面白いと思います。
Posted by 近藤かすみ at 2012年05月08日 23:35
このような「地名」という題では、その地名が、読み手にどのくらい認知されるかというのも大切な要素だと思います。
「インディアナポリス」と「二つ井戸」と、どちらが認知度が高いかといえば、もちろん、「インディ」のほうです。
この「地図から消えた二つ井戸」というのは、昭和58年から「道頓堀1丁目」となったようです。今にして「道頓堀1丁目」のほうが断然かっこいいが、作者は「涸れている」と感じる。
その「涸れている」由縁をもうすこし明示すべきじゃないかな。すごい難しいテクニックだけれど。
Posted by 西王 燦 at 2012年05月21日 20:27
地図からは消えてしまつた<二つ井戸>もう夏だものわたしは涸れた
一読おもしろいうただなあと思っていました。
<二つ井戸>は大阪の由緒ある井戸であり、地名であったようですね。
下句の「もう夏だものわたしは涸れた」は、井戸のせりふでしょうか?
それとも作者のつぶやき?
たぶん井戸のつぶやきなのでしょうが、ここを「作者のつぶやき」として読むとさらに脱力感とぼそぼそ感が出ておもしろいかと思います。勝手な読みですが。
それには、三句で一字空けにして四句五句を置くほうがいいのかな、と思います。
あと、<二つ井戸>が三角パーレン(というのでしょうか?)で囲んでありますが、ここは普通のカギかっこにするか、またはカッコなしにするほうがいいのではないでしょうか。できるだけ一首のどこかが特に目立つということのないように。たぶんカッコなしがいいと思います。そのほうがさらにわびしさとぼそぼそ感が出るはずです。
Posted by 花鳥 佰(かとり・もも) at 2012年05月21日 21:23
>地図からは消えてしまつた<二つ井戸>もう夏だものわたしは涸れた
近藤かすみさんが書かれたように、わたしも「二つ井戸」と言う地名は、それがどこにあるか知らなくても、いわくありげで、面白いと思いましたけれど、「道頓堀」にあったのですねぇ。
上の句の「地図からは消えてしまつた<二つ井戸>」と下の句の「もう夏だものわたしは涸れた」が結びつかなくて、苦戦してゐます。涸れたのは「わたし」なので、上の句全体が序言葉みたいな役割なのでしょうか。
それは面白く感じるのですけれど、そうすると、四句「もう夏だもの」と「わたしは涸れた」が少しつきすぎてゐる気もします。
でも、何だか不可思議な雰囲気があって、下の句の投げやりな感じに惹かれるところもあって、面白い歌だと思います。
Posted by 弘井文子 at 2012年05月21日 21:33
非常に面白く読みました。
消えた涸れたと悲観的なわりに、あっけらかんとしているというか、弘井さんのおっしゃるとおり投げやりというか(笑)
「もう夏だもの」で一度切れているので、そう感じるのだと思います。とても効果的です。
・地名という題がなければ「二つ井戸」を道頓堀だと理解できないのではないか、
・「わたし」が作者なのか井戸なのか、
という疑問を持とうとしてやめました。
すごく面白いので、私はこれで完成されていると思います。
わたしが誰なのか不明瞭な感じが、妖怪・幽霊詠みみたいです。夏で井戸ですし!
Posted by 高松 霞 at 2012年05月22日 01:51
すみませんもうひとつ。
<>の問題ですが、私は好きです。
鍵カッコでもカッコ無しでもないことで、二つ井戸を地名ではなく登場人物として浮き上がらせる効果があると思います。
弘井さんが上句と下句が結びつかないとおっしゃっていましたが、
むしろわざと結びつかせなかったと考えることはできないでしょうか。
上句が作者の目線、<>を挟んで転換させて、下句が井戸のつぶやき。
こうすると「わたし」にふたり(作者と井戸)が重なるので、わたしは誰なのか?という疑問が出るわけですが、この疑問は良いと思います。不可思議、不明瞭なのが、この歌の魅力です。
Posted by 高松 霞 at 2012年05月22日 14:25
井戸二つ分の水の豊さが、現在の涸れている私をより立体的にして厚みのあるイメージを提示していて大変良いと思いました。
Posted by エリ at 2012年05月22日 17:15
なかなかコメントがつかなかったので、人様の歌をとやかく言う前に自分の歌ちゃんとしなければなあと反省しておりました。皆様、ありがとうございました。
道頓堀一丁目、といえばかっこうはいいのですが…。でも、あの道頓堀からは少々離れていて、もともとは地味なぱっとしない問屋街でした。井戸も二つ並んで、ちゃんとあったのですが。
古典の上方落語などにも出てくる古い地名が地名変更でかなり消えました。こういうのって、寂しいんですよね。井戸から幽霊も出てこれなくなりました。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年05月25日 04:35
皆さんが書いておられるように不思議な雰囲気の面白い歌だと思いました。下の句は、近藤さんが言われたように、「わたしは涸れたもう夏だもの」とした方が、「私」が二つ井戸であれ、作者であれスムーズに展開するように思います。
Posted by さとう ひろこ at 2012年05月26日 13:29
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その「涸れている」由縁をもうすこし明示すべきじゃないかな。すごい難しいテクニックだけれど。
一読おもしろいうただなあと思っていました。
<二つ井戸>は大阪の由緒ある井戸であり、地名であったようですね。
下句の「もう夏だものわたしは涸れた」は、井戸のせりふでしょうか?
それとも作者のつぶやき?
たぶん井戸のつぶやきなのでしょうが、ここを「作者のつぶやき」として読むとさらに脱力感とぼそぼそ感が出ておもしろいかと思います。勝手な読みですが。
それには、三句で一字空けにして四句五句を置くほうがいいのかな、と思います。
あと、<二つ井戸>が三角パーレン(というのでしょうか?)で囲んでありますが、ここは普通のカギかっこにするか、またはカッコなしにするほうがいいのではないでしょうか。できるだけ一首のどこかが特に目立つということのないように。たぶんカッコなしがいいと思います。そのほうがさらにわびしさとぼそぼそ感が出るはずです。
近藤かすみさんが書かれたように、わたしも「二つ井戸」と言う地名は、それがどこにあるか知らなくても、いわくありげで、面白いと思いましたけれど、「道頓堀」にあったのですねぇ。
上の句の「地図からは消えてしまつた<二つ井戸>」と下の句の「もう夏だものわたしは涸れた」が結びつかなくて、苦戦してゐます。涸れたのは「わたし」なので、上の句全体が序言葉みたいな役割なのでしょうか。
それは面白く感じるのですけれど、そうすると、四句「もう夏だもの」と「わたしは涸れた」が少しつきすぎてゐる気もします。
でも、何だか不可思議な雰囲気があって、下の句の投げやりな感じに惹かれるところもあって、面白い歌だと思います。
消えた涸れたと悲観的なわりに、あっけらかんとしているというか、弘井さんのおっしゃるとおり投げやりというか(笑)
「もう夏だもの」で一度切れているので、そう感じるのだと思います。とても効果的です。
・地名という題がなければ「二つ井戸」を道頓堀だと理解できないのではないか、
・「わたし」が作者なのか井戸なのか、
という疑問を持とうとしてやめました。
すごく面白いので、私はこれで完成されていると思います。
わたしが誰なのか不明瞭な感じが、妖怪・幽霊詠みみたいです。夏で井戸ですし!
<>の問題ですが、私は好きです。
鍵カッコでもカッコ無しでもないことで、二つ井戸を地名ではなく登場人物として浮き上がらせる効果があると思います。
弘井さんが上句と下句が結びつかないとおっしゃっていましたが、
むしろわざと結びつかせなかったと考えることはできないでしょうか。
上句が作者の目線、<>を挟んで転換させて、下句が井戸のつぶやき。
こうすると「わたし」にふたり(作者と井戸)が重なるので、わたしは誰なのか?という疑問が出るわけですが、この疑問は良いと思います。不可思議、不明瞭なのが、この歌の魅力です。
道頓堀一丁目、といえばかっこうはいいのですが…。でも、あの道頓堀からは少々離れていて、もともとは地味なぱっとしない問屋街でした。井戸も二つ並んで、ちゃんとあったのですが。
古典の上方落語などにも出てくる古い地名が地名変更でかなり消えました。こういうのって、寂しいんですよね。井戸から幽霊も出てこれなくなりました。