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2012年05月05日
第10回ネット歌会詠草/3
灰色の空に圧されて佐倉台息の苦しく病院坂行く
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この記事へのコメント
気持ちがすぐに読みとれて良いと思いました。ただ「灰色の空」「圧されて」「息の苦しく」と全体に余りにもつき過ぎているという評もあるかなとは思いました。「息の」の「の」は「が」「も」なども考えられると思いますがやはり「の」でしょうか。
Posted by 永井秀幸 at 2012年05月07日 17:11
永井さんがお書きのように、場面と気持はよく伝わりますね。
この「佐倉台」というのはどこか?千葉県佐倉市には王子台や臼井台などがあり、いずれにせよ山や丘を切り開いた高台の住宅地であり、道もけっこうな傾斜でありましょう。
「息の」の「の」については、私は永井さんの案のなかでは「も」を選びます。
以前にも書いたかもしれませんが、「の」というのは、きわめて連体的な助詞であり、そのあとに体言や連体形を強く要請します。
Posted by 西王 燦 at 2012年05月11日 18:22
確かに西王さんのおっしゃるように、「の」は連体的な助詞なのですが、この歌の「息の苦しく」はどう読みましてもこれでいいという気がするのです。おかしくない。こういう表現は古文ではごく普通にあります。よく分からないので、岩波古語辞典の基本助詞解説を見ましたら、格助詞「の」の用例として、「青山を横切る雲のいちしろく」という万葉集の歌の例を挙げていました。解釈としては、「雲の性質としてむ、はっきり誰の目にも見える」とありまして、この3の歌の場合にもあてはまるのではないかと思った次第です。ここでは「坂道をあがって、息の性質として、苦しくて」となるでしょうか。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年05月11日 19:45
田宮さんがお書きのところ、面白いです。私も岩波古語辞典がお気に入りです。初版「広辞苑」でこういう分野を担当した大野晋さんが、満を持して作ったのが「岩波古語辞典」です。連用形検索というのがヘンな印象を与えましたが、とてもいい辞書です。
さて、「青山を横切る雲のいちしろく」という岩波古語辞典の例と、この作品の「息の苦しく」とを同じように考えるのは、すこし疑義があります。
「青山を横切る雲のいちしろく」のほうは、「青山を横切る雲のように(あきらかに)いちしろく〜」という文脈です。
灰色の空に圧されて佐倉台息の苦しく病院坂行く
この作品の「の」は、たとえば、「息の苦しきまま病院に行く」とか、「息の苦しきゆえ病院に行く」という文脈であろうと思います。
解りにくい語法のことを書いていますが、作品としてはリアルで、今回最高点を入れたい作品です。
Posted by 西王 燦 at 2012年05月12日 19:31
あのね、「雲のいちしろく」と「息の苦しく」は語法としては同じだと思うのです。
「(青山を横切る)雲のいちしろく」と
「(坂道をのぼる我の)息の苦しく」とは同じです。要するに、雲がいちしろし、息が苦し、と言っているわけで、雲・息が主格、いちしろし、苦しが述部となっているのではないですか。
花の白く、空の高く、というのも同じで、
花の性質としては白く
空の性質としては、高く、
という意味になります。
大野先生は「の性質としては」とされてますがちょっと分かりにくいのですけどね。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年05月13日 08:34
例を補足します。(わたし、こういうの、結構楽しいんです)
鳥のすばやく飛び去りにけり
花のま白く咲き誇りたり
ねっ、この「の」は不自然じゃないでしょう?
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年05月13日 08:51
田宮さん、とても面白い話題でありがとう。
他の方にはながながと迷惑なことかもしれませんが、すこしだけ。
田宮さんの解釈も文法の知識もとてもいい。いつか将来、このあたりのことを、どこかの歌会で話し合いたいと思います。
さて、田宮さんの例に出す、
鳥のすばやく飛び去りにけり
花のま白く咲き誇りたり
これらは
鳥の(すばやく)→飛び去りにける
花の(ま白く)→咲き誇りたる
という主述の関係になるのです。
Posted by 西王 燦 at 2012年05月13日 19:09
はい、分かっています。
本題の3の歌に戻ります。
「私は<息の苦しく>という状態で、病院坂行く」と言っているわけで、私の言いたかったことは「息の苦しく」の「の」はこれでいいのではないか、ということだけです。
息も苦しく病院坂行く
息は苦しく病身坂行く
息の苦しく病院坂行く
この三つを比べて、「の」にすると格調もあって引き締まるように思います。
Posted by 田宮ちづ子 at 2012年05月14日 12:53
「息の苦しく」の「に」について僕が「が」「も」もありかと最初に書いたのは「灰色の空に」の「に」があることもあってやや違和感を感じたからでした。西王さんが言われている「も」がもっとも穏当な案かと思いますが、それでは息以外にも何か苦しかったのかと言われそうで作者は息だけが苦しかったことを言いたくて「の」を選択したのかと思い『やはり「の」でしょうか』と書いたのでした。その場合、田宮さんが例示されている「は」僕のもう一案「が」よりは僕も「の」を取りたいと思います。
Posted by 永井秀幸 at 2012年05月15日 16:45
永井さん、西王さん、田宮さん批評をありがとうございました。現在、病院通いでそのままを
詠んだものです。佐倉台は架空の地名です。
<の>についてこれほど意見が出るとはおもいませんでした。短歌的主格で<の>はあり、といつか歌会でおしえていただいて自然に使いました。
いずれにせよいろいろかきこんでいただいて
ありがとうございました。
Posted by 青柳泉 at 2012年05月24日 16:37
先にも書きましたように、私個人的には今回の歌会一押しの作品です。
その上で、もう一度、「の」と「も」について書きます。
灰色の空に圧されて佐倉台息の苦しく病院坂行く
このような「の」の使い方を、青柳さんもお書きのように、「短歌的主格」というふうに容認していることに(自分は間違いだらけのくせに、こまかいことに拘る私は)感覚的に違和感があります。
「の」というのは私の感覚では今でも「連体助詞」。「体言+の+体言」というイメージです。
「私の行く」というかたちは断固許せない。
他方、「も」について、
永井さんが、「も」を使った場合、息以外にも何か苦しかったのかと言われそうで、と書いています。
たしかに「も」というのは「あれもこれも」という多義性を表わす言葉として用いられていますが、本来は、不確実要素、もしくは不確定要素を表わす助詞です。
この作品の場合、息だけが苦しいのじゃないと思うよ。作者自身が書いているように「病院通い」のさまざまな苦しみを含めて、「も」のほうがいいなあ。
くどいようだが、病院坂の場面はリアル。
Posted by 西王 燦 at 2012年05月24日 20:44
上記西王さんが書かれている「(「も」は)本来は、不確実要素、もしくは不確定要素を表わす助詞です。」ということが歌会などでは強く主張されることは殆どなく、西王さんが引かれているように書いたのですが僕もこの場合どちらかといえば「も」を取りたい気がしています。
Posted by 永井秀幸 at 2012年05月25日 17:34
<の>について深くかんがえませんでした。かんがえてみれば、苦しいのは息だけでなく肩の痛さも、でした。だんだん<も>のほうがいいのかとも
文法をあまり勉強をしていないので、もっと1字1字かんがえて作らねばとと思いました。ご指摘ありがとうございました。
Posted by 青柳泉 at 2012年05月28日 21:55
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以前にも書いたかもしれませんが、「の」というのは、きわめて連体的な助詞であり、そのあとに体言や連体形を強く要請します。
さて、「青山を横切る雲のいちしろく」という岩波古語辞典の例と、この作品の「息の苦しく」とを同じように考えるのは、すこし疑義があります。
「青山を横切る雲のいちしろく」のほうは、「青山を横切る雲のように(あきらかに)いちしろく〜」という文脈です。
灰色の空に圧されて佐倉台息の苦しく病院坂行く
この作品の「の」は、たとえば、「息の苦しきまま病院に行く」とか、「息の苦しきゆえ病院に行く」という文脈であろうと思います。
解りにくい語法のことを書いていますが、作品としてはリアルで、今回最高点を入れたい作品です。
「(青山を横切る)雲のいちしろく」と
「(坂道をのぼる我の)息の苦しく」とは同じです。要するに、雲がいちしろし、息が苦し、と言っているわけで、雲・息が主格、いちしろし、苦しが述部となっているのではないですか。
花の白く、空の高く、というのも同じで、
花の性質としては白く
空の性質としては、高く、
という意味になります。
大野先生は「の性質としては」とされてますがちょっと分かりにくいのですけどね。
鳥のすばやく飛び去りにけり
花のま白く咲き誇りたり
ねっ、この「の」は不自然じゃないでしょう?
他の方にはながながと迷惑なことかもしれませんが、すこしだけ。
田宮さんの解釈も文法の知識もとてもいい。いつか将来、このあたりのことを、どこかの歌会で話し合いたいと思います。
さて、田宮さんの例に出す、
鳥のすばやく飛び去りにけり
花のま白く咲き誇りたり
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鳥の(すばやく)→飛び去りにける
花の(ま白く)→咲き誇りたる
という主述の関係になるのです。
本題の3の歌に戻ります。
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息も苦しく病院坂行く
息は苦しく病身坂行く
息の苦しく病院坂行く
この三つを比べて、「の」にすると格調もあって引き締まるように思います。
詠んだものです。佐倉台は架空の地名です。
<の>についてこれほど意見が出るとはおもいませんでした。短歌的主格で<の>はあり、といつか歌会でおしえていただいて自然に使いました。
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ありがとうございました。
その上で、もう一度、「の」と「も」について書きます。
灰色の空に圧されて佐倉台息の苦しく病院坂行く
このような「の」の使い方を、青柳さんもお書きのように、「短歌的主格」というふうに容認していることに(自分は間違いだらけのくせに、こまかいことに拘る私は)感覚的に違和感があります。
「の」というのは私の感覚では今でも「連体助詞」。「体言+の+体言」というイメージです。
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たしかに「も」というのは「あれもこれも」という多義性を表わす言葉として用いられていますが、本来は、不確実要素、もしくは不確定要素を表わす助詞です。
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